遠賀

苦しいこころと話す参考マンガ

とっても参考になる苦しいこころの出来方、こころとの話し方がマンガになっていたのでシェアします。

是非読んでみてください。

リンクはこちら。-EMI-さんの漫画

苦しいこころは自分で話を聞いてあげると消えていくんだなぁ。

しかも、こころは現実を変えて欲しいわけじゃなくて、ただ話を聞いて欲しいだけという可愛い子。

結果的に、こころの話を聞くと変化があらわれるんだけど、それは全部自分が楽になることに繋がるんだからこころは優しい子です。

子どもの発想をどう受けとめるか

友人がfacebookに子どもの書初めの宿題を投稿していました。

小学4年生の息子さん。

大きな縦長の半紙に「お正月」と大きく、堂々とした字を書いていました。

と、ここまでは普通なのですが、笑えるのがお題の横の名前。

その子の名前は画数の多い”瀧口”くん。

筆で”瀧”と書くのが出来ないと判断したのか、面倒臭かったのか、”谷口”と堂々と書いてありました。

「”谷口”って誰よ?」と呆れた感じでママは投稿していましたが、自分の名前を変えてしまうなんて、その発想が私にはなかったので大笑いしました。

友人であるその子のママも結構ぶっ飛んだ(発想力豊かな)人なので【この母にしてこの子ありだな】と思ったのですが、

果たして、宿題を出した先生は怒るのか、笑うのか、褒めるのか、呆れるのか、はたまた、どう受けとめるんだろう。

みなさんが先生だったら、親だったら、どう受けとめますか?

私だったら、どうして”谷口”にしたのかまず聞いてみたいなと思いました。

2択思考を緩める

がちがちの2択思考だと、苦しいだろうなと思うことがありました。

「やるか、やらないか。」

なんて言われたら、もう、2択しかないようなものに見えてきて、考える前に【やりたくないな。】という気持ちが生まれそうです。

でも、「やるか、やらないか。」をぼんやりみてみると、

「出来るところまでやる。」とか

「難しそうだったら手伝って。」とか

「水曜日はやるけど、その他の日はしない。」とか

「こういうやり方をしていいんだったらする。」とか

「この人と一緒だったらする。」とか

2択以上の選択肢が色々作り出せます。

何かを選ばなければいけないときは、
どんなオプションがあるのか、
どんな選択肢が作り出せるか色んな人と考えてみるといいかもしれません。

内省してみるといいかも。

幸せを感じたい人は内省してみるといいかもしれません。

 

これまでは外へ外へ向けて行動することだったり、知識や経験を増やすことに目が向けられてきましたが、これからは内省が重視される時代が来ると思います。

 

なぜならバランスが大事だからです。

 

もう、みなさん、学べることは学びつくしたような勢いではないかと思いますし、ネットで何でも調べられるようになりました。

 

それでも幸せではないという。

それなら内側にしか答えはないのでは?と思います。

 

何でもある時代に、外に見つけることの出来ないものが自分の内側です。

Life is easy.

Life is easy. Why do we make it so hard?| Jon Jandai | TEDxDoiSuthep

色んな考え方、生き方がありますね。

 

思考は嗜好品。

思考は嗜好品です。

お酒やたばこと同じ。

楽しむ程度ならいいけれど、依存性があって、適量を超えるとそこから抜けられなくなります。

 

ときには思考をとめて、今を感じることを楽しんでください♪

言葉は全部自分に返る。

言葉は自分が他の人に言ったことでも、自分に返ってくる気がします。

もっと言うと、自分が会話に入ってなくても聞こえてくる言葉は自分に影響を与える気がします。

 

なぜなら、言葉は音で振動だから。

 

そう考えると、自分が発する言葉が自分に一番影響することになりそうです。

それが、例え他の人に向けて言った言葉でも。

 

子どもが「バカって言った人がバカなんだよ~!!」っていうのは、それがわかってるからなんですね。

 

「ありがとう。」「嬉しい。」「大好き。」「美味しい。」「今日いいことあったな。」「いいね~。」「楽し~い。」「素敵。」「かわいい。」「元気。」

 

なるべくいい音を選んで話をしようと思いました。

組織運営と精神世界・ティール組織

2019年のビジネス書大賞・経営者賞に輝いた『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』 フレデリック・ラルー鈴木立哉 (翻訳) 嘉村賢州 (解説)を読んで、その組織論があまりに精神的なものをあらわしていて驚きました。

人類が歩んできた進化の過程と組織の発達をリンクさせて理論を展開しているのですが、この本で新しい組織の形として推奨されているティールというのは【変化の激しい時代における生命型組織。自主経営(セルフ・マネジメント)、全体性(ホールネス)、存在目的を重視する】とあります。

全体性(ホールネス)がビジネスで論じられる時代が来るなんて、昭和生まれの私からすると嘘のような話です。

 

これまで、日本で「会社(組織)」といえば、社長という経営者がいて、その指示に従って下の人たちが業務をこなす場所だったと思います。

でも、ティール組織の場合は業務を行う人たちがチームを組み、どう業務を行うかを決める権利があり、チームのメンバーはみんな同じフラットな関係にあります。

なぜなら、組織は生命体だと考えるからです。

 

例えば人で考えてみると、人間は様々な器官が一つになって人間の機能を果たしています。

脳が偉いわけでも、肝臓が偉いわけでもなく、人として、生物として存在するためにそれぞれの器官がそれぞれの働きをしています。

脳は肝臓を否定したりしないし、脳は脳なりの視点で意見を発し、肝臓は肝臓の視点で意見を発して、「では、本来の目的であるこの人を活かすのにベストな選択はなんでしょう?」という問いから何をするかの決定をします。

これが新しい組織の形態ではないかとteal組織では言っています。

 

これは言いかえれば、不完全性の受容とも言えるような気がします。

これまでは、社長は頭が良く、知識も経験も豊富で、何かの決定を下すのに最適な人と思われていたものが、急速に変化する現代では、そうではなくひとりひとりは不完全ではあるけれど、それぞれの視点と能力を合わせればベストな判断を下せるという考えになっている気がします。

そして、そこには失敗しても構わないという自分や周りに対する信頼も存在しています。

 

何という変化。

この本が世界中でベストセラーになっているという事実にも社会の変化を感じます。

この考えは精神世界ではずーっと言われてきていたことです。

全ては一つである。と。

人が自分を個だと思ったことから分離が生まれて、廻り巡って全体性に戻ってきたみたいです。

環境問題や、差別、格差社会などなど、これまでネガティブに怒りや悲しみを持って対処法が模索されていた出来事が、みんなで取り組むポジティブな課題になってきたような気がします。

 

嬉しい!

食べていないものは食べていない。

世界の認知がちょっとずつ変化している高齢の方と接していると、さっきご飯を食べたのに「食べていない」ことになっていたり、今日は日曜日なのに「月曜日」になっていたりすることがあります。

このとき、事実は「ご飯を食べた」ことや今日は「日曜日」であることですが、たった一人の意識の中ではご飯は「食べていない」し、今日は「月曜日」であることが正解で、そういうときに事実だけが正しいことだとしてしまうと、お互いの事実が違うのでお互いが嫌な想いをしてしまいます。

時代的に、私たちは正しさを貫くことが素晴らしいことだとすり込まれてきたように思うのですが、時代が変わった今、そもそも【正しさって何だっけ?】と思います。

「正しさ」は目指すべき頂上のように思っていたけど、「正しさを持ちながら、それ以外も受け入れること」が今私に見えている頂上な気がします。

ふと、今、「食べた。」とか「食べてない。」とかの話を書いていて、安部さんのことが頭に浮かびました。

公共の場で「食べた。」のに「食べてない。」ことになったり、「日曜日」が「月曜日」になったらそれは大変です(笑)

 

公の場では正しさも事実も大切。

だけど、私の場では柔軟性も大切。

 

確固たる正しさを持っている人は公の仕事に向いているのかもしれません。

どうして私は人を疑うの?

ある日の夕方、ふと私のこころに【疑い】という気持ちが湧いてきました。

【さっき優しくしてくれたあの人は自分が得をするために私に優しくしているのではないか】と。

ちょくちょくこの感情は私のこころにあらわれていたのですが、いつもあんまりいい気持ちがするものではないので【出て来たな】とわかっていても向き合わずに流していました。

でも、その日はなぜかこの【疑い】と向き合ってみようという気持ちになったので【疑い】について深く考えてみることにしました。

すると、私の中に【自分が損をしたくない】という損得の概念があることに気づきました。

お金についても、時間についても、労力についても私は自分が損をしたくないと思っているようなのです。

私の中で【損】は言いかえると【失う】【なくす】【なくなる】【取られる】こと。

するとどうなるかと考えると【困る】【貧しくなる】【辛い】【苦しい】。

それは嫌だ。

 

でも、ほんとうにそうなのでしょうか。

 

では、お金を払って、時間をかけて、とっても疲れることをしたらどう感じる?と想像してみると、

【あれ、嫌じゃない。。。むしろ、結構好きかも。ご飯が美味しく食べられて、ぐっすり眠れそう。】

矛盾しているようで、同じ私のこころから生まれた声です。

 

お金を払って、時間をかけて、疲れることをするのは嫌じゃない。

つまり、【損】じゃない。

なのに、頭の中では【損】だと思っている。

ということは【疑い】は頭の中で生まれる【損得】の【概念】から生まれているのかも。

【疑い】は自分がお金と時間と労力を出すのは【損】で、誰かがお金と時間と労力を出さずに何かを得ることが【得】。

それが嫌だという【概念】から。

 

でも、お金を使うことも、時間をかけることも、労力を出すことも、

全く【失う】【なくす】【なくなる】【取られる】ことではないし、

【困る】【貧しくなる】【辛い】【苦しい】ことでもないということが確認出来た今、

【どうしてそんな勘違いをしていたんだろう。】と思うと同時に

必死に間違った方程式を覚えていた私がいたような気持ちがしました。

 

『さっき優しくしてくれたあの人は、私を気分よくさせて、何かを得ようとしている』のと

『さっき優しくしてくれたあの人は、何の下心もなくただ純粋なこころから優しくしてくれた』のとの違いは

私が生み出している【疑い】の感情の違いだけです。

実際に起きたことはただひとつ『あの人が私に優しくしてくれた。』だけ。

 

過去に嫌な経験が多ければ多いほど、自己防衛の一つとして【疑い】の気持ちが生まれてくると思いますが、自分にとって心地よくない感情が出てきたときは、一度自分のどんな想いからその気持ちが出てくるのかを深く見つめてみるといいかもしれません。