自分

かつての望みが叶った今。

かつて、どれだけの人が【あぁ、もし〇〇だったらみんなが幸せになれるのに】と思って奔走したのだろうかと思いました。

 

【もし、車があったら買い物も楽になるし、遠くに旅行にも行けるし、みんな幸せになるだろうな】

【もし、洗濯機があったら、手も荒れずに済むし、自由な時間も作れるし、みんな幸せになるだろうな】

【もし、結核の特効薬が出来たなら、結核で死ぬ人ももいなくなって、みんな幸せになるだろうな】

【もし、誰もが学校に行けるようになったら、国が発展して、みんな幸せになるだろうな】

【もし、美味しいものが普通に買えるお金が稼げるようになったら、みんな幸せになるだろうな】

 

移動手段も、生活用品も、病気の治療も、教育も、金銭的なことも、

たくさんの人の望みを実現して幸せになってもらいたい、

もしくは、たくさんの人が望むことを商機と考えて実現してきた、

その先端に今の私たちがいるのだと思います。

 

そんな今ですら、私は

【ベーシックインカムが現実になって、みんながお金の心配をしなくて済むようになれば、もっと自由に生きられる人が増えてみんなが幸せになるんじゃないだろうか】

などと思ったりしていました。

 

でも、きっとそれが現実になっても、私たちはまた『何か別の要因』を見つけるんだろうな。とふと思いました。

 

【あぁ、そういうことか。】と。

 

結局は、自分の中に焦点をあてて、自分が不満を生み出している何かを溶かすことでしか幸せは実現しないんですね。

私がみんなのために思っていたことは、ただの私の願望でした。

認めさせたい。認められたい。

仲の良くない人たちのやりとりを見ていたとき、どちらが上を取るか、マウンティング合戦だなと思いました。

 

嫌いな人には自分のことを認めさせたい。

好きな人には自分のことを認めてもらいたい。

 

さらに、好きでも嫌いでもない通りすがりの人でも自分のことを認めてもらいたい。

 

たいていの人のこころの奥底にある願いだと思います。

 

でも、この不毛な戦いの渦中で無傷でいられる人たちも沢山います。

それは自分で自分を認めている人です。

自分が好きな人です。

 

誰に何を言われようと、どんな扱いを受けようと、無傷。

自分の存在自体が尊いものだと知っているからです。

 

自分の存在自体が尊いものだと知っている人たちは宝くじに当たったようなものだなと思います。

ほんとうにラッキー。

 

どんなに頭が良くてもわからない人にはわからないし、どんなに頭が悪くてもわかっている人にはわかっている。

大事なことがそういうものでよかったなと思います。

同一化

エックハルト・トールさんの著書の中に、

自分と何かを同一化して”私のもの”とすることが

人のジレンマを生み出すとかいてあります。

 

2020年の日本野球、パリーグはソフトバンクホークスが優勝しました。

これで喜んだ福岡の人たちは大勢いたと思います。

”私のチーム”が優勝したと思ったからです。

 

もし、他のチームが優勝していたら、

”私のチーム”が負けたと思って悔しがった人たちがいたと思います。

 

これと同じことを”私の顔”とか”私のこども”とか”私の仕事”とか

色々なもので一喜一憂しているのが私たちなんだなと、

昨日ソフトバンクホークスの優勝をみて思いました。

 

これをわかっていて、自ら楽しむなら

喜びも悲しみも思い切り味わった後で

軽く手放すことが出来ると思うのですが、

 

これを知らずに”私のもの”としていると

いつまでもいつまでも、永遠には続かない喜びや悲しみに

執着してしまうのだなと思います。

 

知っていたとしても、手放すのが難しい”私のもの”はあります。

”私の体”や”私のこども”は特にそうだと思います。

だから、それらとの毎日を意識的に思う存分味わうのがとっても大事だと思います。

あの人を変えたいと思うとき。

【あの人を変えたい。】と思うとき、

今のその人が駄目だと思っている”私”がいるとわかります。

 

【もっと自信を持てばいいのに】

【もっと人と仲良くしたらいいのに】

【もっと運動したらいいのに】

 

書き出してみて、よ~く眺めると”私”のことがよくわかります。

 

【世界を変えたい】と思うときもそうです。

今のこの世界が駄目だと思っている”私”がいるとわかります。

そして、よ~く眺めると”私”のことがみえてきます。

誰もが自分で物語を作っている。

ある時、友人が新聞の取材を受けるというのでお茶出し係としてついて行ったことがあります。

記者の方は事前に色々と調べてくれていた上に、1時間くらいたっぷり取材をして、楽しそうに帰って行きました。

 

そして後日、その記事が新聞に掲載されたのですが、内容がちょっと違うのです。。。

大まかなところは間違いないのですが、小さなところがちょっと付け足されているというか、ちょっと違うんだけどな~。という内容になっていました。

 

基本的に新聞は取材された側が記事をチェックしたり出来ないし、もう記事になった後だったので、まぁ、いいか。となったのですが、この時改めて『人は自分の中で物語を紡ぎだす生き物だな~。』と感じました。

 

聴かれて初めて考えること。

初めての対話を終えて一息。

「どうですか?」と感想をうかがって「難しかったです。」と言われた方がいました。

「それは?」と聴くと「う~ん。何でだろう?わからないけど。」と。

「じゃあ簡単なことって?」と聴くと「いつもやってること。」と(笑)。

いつもは意識しないことを考えたから難しいと感じられたみたいでした。

でも、私が聴くのはその方自身のことです。

いつも一緒で一番よくわかっているはずなのに、改めて聴かれるとわからない、考えたこともないことがたくさんってことですね。

私も人に聴かれて初めて考えること、気づくこと、たくさんあります。

自分のパターンってあるし、どう頑張っても360度見えるようにならない。

だから、面白い。

そう思います。