かつて、どれだけの人が【あぁ、もし〇〇だったらみんなが幸せになれるのに】と思って奔走したのだろうかと思いました。
【もし、車があったら買い物も楽になるし、遠くに旅行にも行けるし、みんな幸せになるだろうな】
【もし、洗濯機があったら、手も荒れずに済むし、自由な時間も作れるし、みんな幸せになるだろうな】
【もし、結核の特効薬が出来たなら、結核で死ぬ人ももいなくなって、みんな幸せになるだろうな】
【もし、誰もが学校に行けるようになったら、国が発展して、みんな幸せになるだろうな】
【もし、美味しいものが普通に買えるお金が稼げるようになったら、みんな幸せになるだろうな】
移動手段も、生活用品も、病気の治療も、教育も、金銭的なことも、
たくさんの人の望みを実現して幸せになってもらいたい、
もしくは、たくさんの人が望むことを商機と考えて実現してきた、
その先端に今の私たちがいるのだと思います。
そんな今ですら、私は
【ベーシックインカムが現実になって、みんながお金の心配をしなくて済むようになれば、もっと自由に生きられる人が増えてみんなが幸せになるんじゃないだろうか】
などと思ったりしていました。
でも、きっとそれが現実になっても、私たちはまた『何か別の要因』を見つけるんだろうな。とふと思いました。
【あぁ、そういうことか。】と。
結局は、自分の中に焦点をあてて、自分が不満を生み出している何かを溶かすことでしか幸せは実現しないんですね。
私がみんなのために思っていたことは、ただの私の願望でした。
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