木守

戦いがないと面白くない?

春休み、遊びに来ていた姪っ子たちはひたすらアニメを観ていました。

どれをみても、戦いがないアニメはありません。

「ねぇねぇ、どうして戦いばっかりなのかねぇ?」と聞いてみたら、

「戦いがないと面白くないからじゃない?」と返ってきました。

確信をついてるな~と思いました。

戦って、正義(自分サイド)が勝つ。

この楽しさ。

自分に不快な感情をもたらすものはいずれ苦しい目に合い、私が正しいことが証明されるのだ。

だから、私はそれが証明されるときまで、戦い続け、耐え続けるのだ。

その道のりで、信頼できる仲間や師匠と出会い、私は成長するのだ。

そして、最後に必ず幸せを手に入れるのだ。

このパターン。

そんなことしなくても幸せは自分の内にあるのにね~。

でも、筍みたいに幸せを覆いつくしている皮を向かないと、幸せを幸せと感じられない心。

【あれ、何かおかしいぞ】とふと立ち止まる時が来るまで、優しく穏やかな気持ちで彼女たちをみていたいな~と思いました。

いのちのテンポ。

どうして自然や植物に安らぎを感じるのか、ふと、こんな考えが浮かんできました。

植物は動物のように動くことが出来ません。

脳と呼ばれる器官もありません。

その代わり、傷つけられても新しく芽吹くことが出来、死に対して動物ほど恐れを抱くこともありません。

お陰で、急ぐことなく、いのちのテンポのままに育っていくことができます。

人から見ると、ゆっくり、ゆっくり、のようにみえるこのテンポが いのちのテンポだという気がします。

人がいくら急いでも、このテンポが全体のテンポなので、抵抗を感じる気がします。

気がせくときは植物からいのちのテンポを感じてみるといいかもしれません。

すると、自然に、無理なく花を咲かせ、実を結ぶ準備が出来る気がします。

不毛な戦いは終わり。

体といのちがあって、思考が生まれることがわかりました。

そしたら、思考の優劣、上下を取り合う戦いは不毛なことがわかりました。

体といのちがのびのび、元気に楽しく過ごせることが一番。

「われおもう、ゆえに、われあり。」ではなく、

「われあり。ゆえに、われおもう。」でした。

いのちは感じられる。

前回書いた意志の力を感じていると【これが”いのち”なんだ】という気持ちがします。

【これがあるから体は動くし、思考も生まれる。死ぬときはこの”いのち”が体をぬけるだけなんだ】と。

思考は”いのち”がないと生まれません。

「生きている意味がない」とか

「生きている価値がない」とか

”いのち”が体をうごうごしているから生きている という単純でありがたい事実から外れています。

”いのち”があってこそ生まれる思考が”いのち”を攻撃するのは、

宿主の中でしか生きていけないのに、宿主を攻撃するウィルスのようなものです。

本来ならウィルスも私たちと共存する存在だったのに、今流行りのコロナウィルスは思考のように【私こそが最強だ】と勘違いしてしまったのかもしれません。

ひとりでいるの好き。

久しぶりの晴れの日に、外で庭仕事をしました。

ツバキ系の木には毛虫がつくので、風通しが良くなるように結構切ってしまうのですが、ふと見ると、写真にあるような ちびっこが、あっちこっちで生まれていて、それが可愛すぎて、ひとり悶絶していました。

梅の木もつぼみをいっぱいつけて花を咲かせる準備をしています。

その開花を今か今かと待っているのもとても好きです。

これはウツギの芽。

春にピンクの可愛い花を咲かせます。

この芽もわたしのこころをいっぱいにしてくれました。

どうしてだろう?どうしてこんなにしあわせなんだろう。

植物が好きだからかなぁ?

わからないけど、ただ庭を歩いているだけで【キュン死にするかも】と思うくらい満たされました。

太陽もあたたかかったし。

そういうわけで、わたしはひとりでいるの好きです。

なんというか、特に、外にいるとひとりだという気持ちがしなくて、誰かといるより自由な感じがします。

気の使い過ぎか。。。

いろいろなことが毎瞬変化している。

さわさわと風の吹く野原でやってみてください。

一度に、動いているところ全部を見ようとすることを。

 

たぶん、そんなことは私たちには出来ないようになっているのだと思います。

一ヶ所を見ようとすると、他のところが見えません。

全体を見ようとすると、思考が停止したような感覚になります。

 

そんな風に、今、私たちがコロナウィルスにフォーカスしている間にも、普段のように、いろいろなことが毎瞬変化しているのだなと思います。

自分の本音を知る練習。

コロナウィルスで時間がある方に今おすすめの自分の本音を知る練習。

【自分が、家族が、友達が、身近な人が感染したらどうしよう。】と目を外に向けがちですが、もし、感染が広がって、自分も危機的な状況になるかもしれないと思ったとき、何をしておけばよかったと思うでしょうか?

紙にだ~っと書き出してみてください。

いつ危機に襲われるかわからないのだから、素直に、素直に。

常識とか、ルールとか、普段だったら気にしないといけないことでも非常時だから枠を外して。

素直に本音を書き出してみてください。

書き出す作業を日を置いて何度も繰り返してみると、毎回出てくる想いだったり、前は思い浮かばなかったのにふと思いつく想いだったり、色んなことが出てきます。

時間があるから出来る、危機があるから真剣に考えられる、コロナウィルスにもいい一面ありです。

コロナウィルスもヒトを通じて世界中で繁殖出来ているので、ヒトに感謝しているかもしれません。

恐れとどう対峙するか。

|コロナウイルスと自粛ムードと私たちの生活と生と死について:大西つねきからの緊急告知|

金融関係の方が語る精神論。

全ての人が恐れに目を向けるときが来ているかもしれません✨

私はそこが鍵だと思っているので嬉しい限りです。

内省してみるといいかも。

幸せを感じたい人は内省してみるといいかもしれません。

 

これまでは外へ外へ向けて行動することだったり、知識や経験を増やすことに目が向けられてきましたが、これからは内省が重視される時代が来ると思います。

 

なぜならバランスが大事だからです。

 

もう、みなさん、学べることは学びつくしたような勢いではないかと思いますし、ネットで何でも調べられるようになりました。

 

それでも幸せではないという。

それなら内側にしか答えはないのでは?と思います。

 

何でもある時代に、外に見つけることの出来ないものが自分の内側です。

理由はいらない。

【頑張ってるからご褒美を受け取っても罰は当たらない。】とか、【こんなにいいことしてるんだから、いつか必ずいいことがあるはず。】とか、何か自分にとって嬉しいことやいいことを受け取るのに理由はいりません。

 

逆に【あの人は嫌な人だから、きっといつか罰が当たる。】とか、【あの時悪いことをしてしまったから、後で私にも悪いことが起こる。】とか、そういうのもありません。

 

そもそも、いいことしているつもりのいい人はいないし、悪いことしているつもりの悪い人はいません。

いいことしても悪いように受け取られることもあれば、悪いことしてもいいように受け取られることもあります。

 

宝くじに当たるのも、病気になるのも、理由はいりません。