これからどうするか。

アドラー心理学の教えを対話形式の本にした「幸せになる勇気」(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)の中に、人が陥りやすい物語のパターンとして【かわいそうなわたし】【悪いあの人】というのが出てきます。

気持ちが前に進まないとき、自分の視点からみた前に進めない理由を見つめてしまうようです。

アドラーはそうではなく、【これからどうするか】を語ることが大事だと言っています。

空っぽか、いっぱいか。

友人に教えてもらって ニュー・アース (エックハルト・トール著 サンマーク出版) という本を読みました。

とてもわかりやすくエゴの仕組みが書いてあって、ありがたいなぁと思いました。

今のところ、2回読んでみたのですが、まだ深く読み取れないなと感じるところがあるので、時間をおいてまた読もうと思います。

 

この本の中で、私の体験とリンクすることが書いてあったので紹介したいと思います。

それは、感じることについて。

 

ある日の夕食後、水切りかごの食器を拭いてテーブルに並べていました。

ふと、とても幸せな感覚が湧いてきました。

ただ、食器を拭いて並べているだけなのに、とても満たされていて、いつもの食器がいつもより美しくみえます。

 

その時期ちょうど佐藤初女さんの本を読んでいて「心の貧しい人は幸いである」というキリストの言葉の意味がわからないな~と思っていたところで、【あぁ、「心の貧しい人は幸いである」とはこういうことか】と思いました。

それは例えば、3日間何も食べてなかった人がおにぎりを食べたときに感じる、涙が出るくらいの美味しさや、1週間お風呂に入れなかった人が1週間ぶりにお風呂に入れたときに感じる何ものにも代えがたい温かさ・気持よさと一緒で、食器を並べて拭いているだけでも幸せに思えるほどに私の心には何もない状態(=貧しい)だったのだなと。

 

よく、”今にある”ことの大切さが言われるようになりましたが、こういうことなのだと思います。

過去の幸せをずっとこころに持っていると、今の幸せが感じられません。

というより、いいことでも、悪いことでも、こころをいっぱいにしていると、目の前にあるものがそのままに感じられないと言った方がいいかもしれません。

 

じゃあ、どうしたらいいの?といわれたなら、自分がこころに持っているものと向き合うか、今だけに集中するかのどちらかかなと思います。

体があるのは不思議ですごい。

体があって、この世界を感じることができるってほんとうに不思議ですごいことだなと思います。

私たちが感覚として感じられる範囲はとても限られていますが、だからこそ現れる世界というのがあると思うと、体があるときはこの特別な世界をしっかり楽しみたいなと思います。

そして、よく観察していると、同じつくりの体を持っていても、それぞれに感じ方や見え方が違うのだということに気づかされます。

人の数だけ世界があるというのはその通りなんだなと思います。

想いの訪問者。

あるとき、【愛されたい】という想いが突然やってきました。

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

いったいどれくらいいるのだろう?と思うくらいずっと【愛されたい】は居続けました。

『でも、愛されるってどういうこと?誰かに愛してるって言われること?』と聞くと

『違う。』と答えます。

『誰かに優しくされること?』と聞いても

『違う。』と答えます。

『誰かに抱きしめてもらうこと?』と聞くと、

『それもいいけど、その感じがずっと欲しい。』と答えます。

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

思いつく質問はどれも納得してもらえなかったので、【愛されたい】をただ見つめていました。

すると、いつの間にか【愛されたい】はいなくなっていました。

 

その次にやって来たのは、【私はいてもいいの?】という想いでした。

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

問いかけてきます。

 

”私”が誰のことなのか。よくわからなかったのでただ見つめていました。

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

 

どれくらいたったか、それまでは固くて触れたくないような【私はいてもいいの?】だったのが

氷のように溶けて見えなくなりました。

傷つきやすいことはありがたいこと。

ある日の夕方、電動草刈りで畑の草刈りをしていたときのこと。

【そろそろ充電が切れるかな。】【もう終わろうかな。】と思いながら、新しい区画に刃を入れた瞬間、草に覆われていた木の枝にはじかれると同時に、目の前で大きくて色鮮やかな芋虫がぐったりしているのが目に入りました。

【あぁ、殺してしまった。】

もう、一瞬で気が萎えて、その日は家に戻り、なくならないこころのちくちくと向き合っていました。

 

数日後、今度は鍬で草取りをしようと庭にでたときのこと。

最初の一振りがまた、大きくて色鮮やかな芋虫にあたってしまいました。

幸いびっくりさせたくらいで殺しはしなかったのですが、同じようなことが2回も続けて…。

 

【私は何を持っているんだろう?】と自分と向き合う機会になりました。

 

私は、生き物を全く殺さないわけではないし、ベジタリアンでもヴィーガンでもありません。

でも、なるべくなら、殺さなくていいなら嬉しいなぁ。と思います。

 

ゴキブリでも蜘蛛でもムカデでもナメクジでも、外で出会う限りは彼らのお家。

家の中で出会ってもなるべく出ていってもらう。のがいいかなと思っています。

誰かが痛い、かゆい、不快な思いをするときは殺すこともあります。

そういうときは淡々と、なるべく感情を持たないように。

 

だから、植物は強いからありがたいなと思います。

多少切っても大丈夫。

密集した木の葉に虫がたくさんつくのは、葉をすいてくれようとしているのかなとも思います。

 

 

 

最近ではHSP(Highly Sensitive Person)という概念が知られるようになりましたが、私はある時まで、まさにHSP でした。

【あの人、本心言ってないなぁ。】とか【この人、顔が笑ってないなぁ】とか【あ、今ちょっと元気になった】とか、ちょっとしたことで変化する人の顔や雰囲気にとても敏感でした。

そして、大勢で遊ぶのがちょっと苦手で、ひとりでいるときは本を読んだり、木の上でぼーっとしたり、虫や植物に話かけたり、というのを好んでしていました。

 

なので、自分の意思とは関係なく、狭い人間関係の中で過ごさなければいけなかった頃は結構苦しいこともありました。

でも、それが自分と向き合う内観のチャンスだと知ってからは、感じやすいという気質はなんと恵まれていることかと思うようになりましたし、大勢の中でも人を見ることばかりをしなくなりました。

 

そんな私が、最近、友人から「ホ・オポノポノ」について書かれた本を借りていいなと思ったことがあります。

それは、こころがざわつく何かが起こったとき、ただ【ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています】とこころの中で唱えるとその原因となっている記憶をクリーニングすることが出来るというものです。

 

普段はなるべく自分がどんな思いを持っているのかを深く深く感じようとしますが、ときに『大きくて色鮮やかな芋虫を殺してしまう。』ということを深く掘り下げても【よくわからない。】に行きあたるということがあります。

そういうときは、あまり深追いし過ぎず、ホ・オポノポノの【ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています】を使って、深い気づきは後から来るのに任せるということで放っておけるなと思いました。

 

詳しくはたくさん出ている書籍を読んでみてください。

ホ・オポノポノ公式サイト

 

 

みんなが幸せになりたい!

最近読んだ本に「みんなが、幸せになりたい、苦しみから逃れたいと思って行動している。」と書いてあって、【そうだな~。】と思いました。

大っ嫌いなあの人も、幸せになりたい、苦しみから逃れたいと思って行動していると思うと【なんだ、同じだ~。】という感じがします。

強い方が幸せで苦しみが少ないと思っている人がマウントとってきたり、お金が多い方が幸せで苦しみが少ないと思っている人がお金に執着したり、見た目がいい方が幸せで苦しみが少ないと思っている人が人目を意識したり、とにかく、幸せになるため、苦しみから逃れるために頑張るのですが、この思い込みを思い込み・ただの概念だと気づいたなら【なんだ、そういうことか~。】って緊張がほぐれるんじゃないかと思います。

 

メチャくん絵本

友人で絵本作家のさかいみるさんがホームページで絵本を無料ダウンロードできるようにしています。

ダウンロードはこちらから:メチャくん絵本

毎日の中にある輝きを純粋に喜ぶことが大得意な、みるさんの描いた世界を感じてみてください。

そして、今自分の中にある素直なきもちも見つめてみてください。

 

心がざわざわしたら。

心がざわざわしたら、まず深呼吸をします。

ざわざわがさわさわくらいになって、さわさわを見つめられる状態になるまで深呼吸します。

ただひたすら深呼吸します。

落ち着いてきたら、さわさわを見つめます。

【さわさわしている】

【さわさわしている】

それをひたすら見つめます。

すると、なにか、さわさわにくっついている出来事が思い出されたり、感情が出て来たりします。

そうなったら、それを【は~。あなたがいたのね~。】とさわさわと一緒に意識してあげます。

【さわさわしている】をひたすら見つめたときのように、それを見つめます。

例えば【恐怖と不安】が出てきたのなら、

【怖いんだね。不安なんだね。】という具合です。

それを心が落ち着くまで繰り返します。

すると、いつの間にかさわさわも含めた全部が消えていきます。

整える順番。

私たちが持っている、こころとからだについて、整えようと思ったとき、からだは整体に行って一時的に整えてもらうことが出来ます。

からだとこころは繋がっているので、一時的にこころも整います。

その反対、こころを整えることでからだを整えることも出来ます。

 

ヨガや瞑想は自分でこころとからだを整えられるようになるための一つの方法です。

 

ここで、自分が整ったとしましょう。

ほんとうに健康で、こころもからだも軽く、世界が輝いている。

そういう状態になったとき、他の人はどう見えると思いますか?

 

たぶん、他の人も自分と同じように輝いて見えるんだと思います。

 

一時的に辛そうに見えたり、怒っているように見えたとしても、自分が整っていると、整っている状態のその人の存在を疑いなく感じることが出来るので、きっとそっと応援したり、そばに居たり、微笑みかけたり、そういうことでほんとうのその人が感じられるようにちょっとお手伝いするんだと思います。

 

誰もが社会的にわかりやすく、大きく見えることを成し遂げる役割を担っているわけではありません。

 

でも、誰もが自分を整えることで、周りにいる人を整えることが出来ます。

それはもう奇跡と呼べるくらい輝いていることです。

 

今日もいい一日でした。

みなさんもいい一日を過ごされていますように。

持っているものをあげることで持っていることに気づく。

何で、みんな「もっと、もっと、欲しい」と思ってしまうのでしょうか。

「持ってない」って思ってしまうのでしょうか。

それは、持っているのに人にあげないからかもしれません。

人にあげないから、自分が持っていることに気づけないのかもしれません。

人にあげられるということは持っているということのしるしです。

それは、お金やもののような物理的に形があるものもそうですが、時間や、思いやり、アイデアなど目に見えないものも同じです。

それに友人のブログを読んで気づきました。

聖書でも仏教の教えでも、お金持ちが「私はどうしたら天国に行けるでしょうか?」という問いには、「すべてを必要な人たちに分け与えて、わたしについてきなさい。」という答えが返ってきます。

ただ数行の文章ですが、考えてみると、お金持ちは自分の財産を処分する過程でどれほどのものを自分が持っていたかに改めて気づくことになるでしょう。

そして、それを人にあげたとき、今まで感じたことのない感情が湧くだろうと思います。

なぜ、お金も、ものも、安全も持っている人たちが満たされていなくて、その日暮らしの人たちが満たされた笑顔をしているのか、やっとわかった気がしました。