幸せ

戦いがないと面白くない?

春休み、遊びに来ていた姪っ子たちはひたすらアニメを観ていました。

どれをみても、戦いがないアニメはありません。

「ねぇねぇ、どうして戦いばっかりなのかねぇ?」と聞いてみたら、

「戦いがないと面白くないからじゃない?」と返ってきました。

確信をついてるな~と思いました。

戦って、正義(自分サイド)が勝つ。

この楽しさ。

自分に不快な感情をもたらすものはいずれ苦しい目に合い、私が正しいことが証明されるのだ。

だから、私はそれが証明されるときまで、戦い続け、耐え続けるのだ。

その道のりで、信頼できる仲間や師匠と出会い、私は成長するのだ。

そして、最後に必ず幸せを手に入れるのだ。

このパターン。

そんなことしなくても幸せは自分の内にあるのにね~。

でも、筍みたいに幸せを覆いつくしている皮を向かないと、幸せを幸せと感じられない心。

【あれ、何かおかしいぞ】とふと立ち止まる時が来るまで、優しく穏やかな気持ちで彼女たちをみていたいな~と思いました。

かつての望みが叶った今。

かつて、どれだけの人が【あぁ、もし〇〇だったらみんなが幸せになれるのに】と思って奔走したのだろうかと思いました。

 

【もし、車があったら買い物も楽になるし、遠くに旅行にも行けるし、みんな幸せになるだろうな】

【もし、洗濯機があったら、手も荒れずに済むし、自由な時間も作れるし、みんな幸せになるだろうな】

【もし、結核の特効薬が出来たなら、結核で死ぬ人ももいなくなって、みんな幸せになるだろうな】

【もし、誰もが学校に行けるようになったら、国が発展して、みんな幸せになるだろうな】

【もし、美味しいものが普通に買えるお金が稼げるようになったら、みんな幸せになるだろうな】

 

移動手段も、生活用品も、病気の治療も、教育も、金銭的なことも、

たくさんの人の望みを実現して幸せになってもらいたい、

もしくは、たくさんの人が望むことを商機と考えて実現してきた、

その先端に今の私たちがいるのだと思います。

 

そんな今ですら、私は

【ベーシックインカムが現実になって、みんながお金の心配をしなくて済むようになれば、もっと自由に生きられる人が増えてみんなが幸せになるんじゃないだろうか】

などと思ったりしていました。

 

でも、きっとそれが現実になっても、私たちはまた『何か別の要因』を見つけるんだろうな。とふと思いました。

 

【あぁ、そういうことか。】と。

 

結局は、自分の中に焦点をあてて、自分が不満を生み出している何かを溶かすことでしか幸せは実現しないんですね。

私がみんなのために思っていたことは、ただの私の願望でした。

これからどうするか。

アドラー心理学の教えを対話形式の本にした「幸せになる勇気」(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)の中に、人が陥りやすい物語のパターンとして【かわいそうなわたし】【悪いあの人】というのが出てきます。

気持ちが前に進まないとき、自分の視点からみた前に進めない理由を見つめてしまうようです。

アドラーはそうではなく、【これからどうするか】を語ることが大事だと言っています。

空っぽか、いっぱいか。

友人に教えてもらって ニュー・アース (エックハルト・トール著 サンマーク出版) という本を読みました。

とてもわかりやすくエゴの仕組みが書いてあって、ありがたいなぁと思いました。

今のところ、2回読んでみたのですが、まだ深く読み取れないなと感じるところがあるので、時間をおいてまた読もうと思います。

 

この本の中で、私の体験とリンクすることが書いてあったので紹介したいと思います。

それは、感じることについて。

 

ある日の夕食後、水切りかごの食器を拭いてテーブルに並べていました。

ふと、とても幸せな感覚が湧いてきました。

ただ、食器を拭いて並べているだけなのに、とても満たされていて、いつもの食器がいつもより美しくみえます。

 

その時期ちょうど佐藤初女さんの本を読んでいて「心の貧しい人は幸いである」というキリストの言葉の意味がわからないな~と思っていたところで、【あぁ、「心の貧しい人は幸いである」とはこういうことか】と思いました。

それは例えば、3日間何も食べてなかった人がおにぎりを食べたときに感じる、涙が出るくらいの美味しさや、1週間お風呂に入れなかった人が1週間ぶりにお風呂に入れたときに感じる何ものにも代えがたい温かさ・気持よさと一緒で、食器を並べて拭いているだけでも幸せに思えるほどに私の心には何もない状態(=貧しい)だったのだなと。

 

よく、”今にある”ことの大切さが言われるようになりましたが、こういうことなのだと思います。

過去の幸せをずっとこころに持っていると、今の幸せが感じられません。

というより、いいことでも、悪いことでも、こころをいっぱいにしていると、目の前にあるものがそのままに感じられないと言った方がいいかもしれません。

 

じゃあ、どうしたらいいの?といわれたなら、自分がこころに持っているものと向き合うか、今だけに集中するかのどちらかかなと思います。

体があるのは不思議ですごい。

体があって、この世界を感じることができるってほんとうに不思議ですごいことだなと思います。

私たちが感覚として感じられる範囲はとても限られていますが、だからこそ現れる世界というのがあると思うと、体があるときはこの特別な世界をしっかり楽しみたいなと思います。

そして、よく観察していると、同じつくりの体を持っていても、それぞれに感じ方や見え方が違うのだということに気づかされます。

人の数だけ世界があるというのはその通りなんだなと思います。

みんなが幸せになりたい!

最近読んだ本に「みんなが、幸せになりたい、苦しみから逃れたいと思って行動している。」と書いてあって、【そうだな~。】と思いました。

大っ嫌いなあの人も、幸せになりたい、苦しみから逃れたいと思って行動していると思うと【なんだ、同じだ~。】という感じがします。

強い方が幸せで苦しみが少ないと思っている人がマウントとってきたり、お金が多い方が幸せで苦しみが少ないと思っている人がお金に執着したり、見た目がいい方が幸せで苦しみが少ないと思っている人が人目を意識したり、とにかく、幸せになるため、苦しみから逃れるために頑張るのですが、この思い込みを思い込み・ただの概念だと気づいたなら【なんだ、そういうことか~。】って緊張がほぐれるんじゃないかと思います。

 

メチャくん絵本

友人で絵本作家のさかいみるさんがホームページで絵本を無料ダウンロードできるようにしています。

ダウンロードはこちらから:メチャくん絵本

毎日の中にある輝きを純粋に喜ぶことが大得意な、みるさんの描いた世界を感じてみてください。

そして、今自分の中にある素直なきもちも見つめてみてください。

 

cojicoji

みなさんお元気ですか?

私は最近youtubeでコジコジを面白く観ています。

コジコジかわいいし、登場人物も面白いし、気づきがいっぱいです。

内省してみるといいかも。

幸せを感じたい人は内省してみるといいかもしれません。

 

これまでは外へ外へ向けて行動することだったり、知識や経験を増やすことに目が向けられてきましたが、これからは内省が重視される時代が来ると思います。

 

なぜならバランスが大事だからです。

 

もう、みなさん、学べることは学びつくしたような勢いではないかと思いますし、ネットで何でも調べられるようになりました。

 

それでも幸せではないという。

それなら内側にしか答えはないのでは?と思います。

 

何でもある時代に、外に見つけることの出来ないものが自分の内側です。

デフォルトは赤ちゃん

デフォルト(初期設定のまま、何も変更をしていない状態)は赤ちゃんだと考えると、人は基本的に安らかで幸せなんじゃないかと思いました。

快・不快は感じるので、泣いたり微笑んだり、そういうことはあるけれど、それは生きるために必要なことで、それに苦しいとか嬉しいといった感情はありません。

 

そして、恐れや不安もないので、何でも口に入れるし、触ってみようとします。

何でも口に入れて、触って、快か不快かを確認します。

 

私たちがそれを感じられなくなるのは、快・不快に感情をくっつけるようになって、過去のことを握りしめ続けるようになるからかもしれません。

今、目の前に不快なことは何もないのに、わざわざ過去のことを思い出して、不快なことを再体験して、【またそれが起きたらどうしよう。】と想像して、不安や恐怖を作り出しているのかもしれません。

 

それを解いて、手放せば、赤ちゃんと同じで安らかで幸せになれそうですね。