対話

天才?強い個性。

ある小学3年生の国語の勉強をみていたときのこと。

答えを見ながら丸付けしていた彼の、はなまるの描き方がとても個性的だったのでびっくりしました。

内側から反時計回りにぐるぐるぐるぐる。

 

私にとっては【どうやったらそうなるの?】と感じるくらいの個性的な描き方だったので【この子と私の世界の見え方や体験はほんとうに物凄く違うものなんだろうな】と思いました。

 

さらに、勉強を進めていくと、個性爆発。

こたえを書きなさいと用意されている四角い枠の中にこたえはかかない。

好きなところにこたえが点在。

それでも正解なら彼的にはOKらしく、枠外に増えていくあかまる。

 

読み仮名を書く問題のこたえにはひらがなとカタカナ混在。

この子、天才?てンさい?

こセいつヨすぎ。

 

きっと先生はどこまでどう修正したらいいのか困っているに違いないと思います(笑)

 

こんな子がたくさん生まれているんだなと思うと、これからのことがとても楽しみになりました♪

空っぽか、いっぱいか。

友人に教えてもらって ニュー・アース (エックハルト・トール著 サンマーク出版) という本を読みました。

とてもわかりやすくエゴの仕組みが書いてあって、ありがたいなぁと思いました。

今のところ、2回読んでみたのですが、まだ深く読み取れないなと感じるところがあるので、時間をおいてまた読もうと思います。

 

この本の中で、私の体験とリンクすることが書いてあったので紹介したいと思います。

それは、感じることについて。

 

ある日の夕食後、水切りかごの食器を拭いてテーブルに並べていました。

ふと、とても幸せな感覚が湧いてきました。

ただ、食器を拭いて並べているだけなのに、とても満たされていて、いつもの食器がいつもより美しくみえます。

 

その時期ちょうど佐藤初女さんの本を読んでいて「心の貧しい人は幸いである」というキリストの言葉の意味がわからないな~と思っていたところで、【あぁ、「心の貧しい人は幸いである」とはこういうことか】と思いました。

それは例えば、3日間何も食べてなかった人がおにぎりを食べたときに感じる、涙が出るくらいの美味しさや、1週間お風呂に入れなかった人が1週間ぶりにお風呂に入れたときに感じる何ものにも代えがたい温かさ・気持よさと一緒で、食器を並べて拭いているだけでも幸せに思えるほどに私の心には何もない状態(=貧しい)だったのだなと。

 

よく、”今にある”ことの大切さが言われるようになりましたが、こういうことなのだと思います。

過去の幸せをずっとこころに持っていると、今の幸せが感じられません。

というより、いいことでも、悪いことでも、こころをいっぱいにしていると、目の前にあるものがそのままに感じられないと言った方がいいかもしれません。

 

じゃあ、どうしたらいいの?といわれたなら、自分がこころに持っているものと向き合うか、今だけに集中するかのどちらかかなと思います。

体があるのは不思議ですごい。

体があって、この世界を感じることができるってほんとうに不思議ですごいことだなと思います。

私たちが感覚として感じられる範囲はとても限られていますが、だからこそ現れる世界というのがあると思うと、体があるときはこの特別な世界をしっかり楽しみたいなと思います。

そして、よく観察していると、同じつくりの体を持っていても、それぞれに感じ方や見え方が違うのだということに気づかされます。

人の数だけ世界があるというのはその通りなんだなと思います。

想いの訪問者。

あるとき、【愛されたい】という想いが突然やってきました。

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

いったいどれくらいいるのだろう?と思うくらいずっと【愛されたい】は居続けました。

『でも、愛されるってどういうこと?誰かに愛してるって言われること?』と聞くと

『違う。』と答えます。

『誰かに優しくされること?』と聞いても

『違う。』と答えます。

『誰かに抱きしめてもらうこと?』と聞くと、

『それもいいけど、その感じがずっと欲しい。』と答えます。

【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】【愛されたい】

思いつく質問はどれも納得してもらえなかったので、【愛されたい】をただ見つめていました。

すると、いつの間にか【愛されたい】はいなくなっていました。

 

その次にやって来たのは、【私はいてもいいの?】という想いでした。

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

問いかけてきます。

 

”私”が誰のことなのか。よくわからなかったのでただ見つめていました。

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】【私はいてもいいの?】

 

どれくらいたったか、それまでは固くて触れたくないような【私はいてもいいの?】だったのが

氷のように溶けて見えなくなりました。

cojicoji

みなさんお元気ですか?

私は最近youtubeでコジコジを面白く観ています。

コジコジかわいいし、登場人物も面白いし、気づきがいっぱいです。

恐れとどう対峙するか。

|コロナウイルスと自粛ムードと私たちの生活と生と死について:大西つねきからの緊急告知|

金融関係の方が語る精神論。

全ての人が恐れに目を向けるときが来ているかもしれません✨

私はそこが鍵だと思っているので嬉しい限りです。

内省してみるといいかも。

幸せを感じたい人は内省してみるといいかもしれません。

 

これまでは外へ外へ向けて行動することだったり、知識や経験を増やすことに目が向けられてきましたが、これからは内省が重視される時代が来ると思います。

 

なぜならバランスが大事だからです。

 

もう、みなさん、学べることは学びつくしたような勢いではないかと思いますし、ネットで何でも調べられるようになりました。

 

それでも幸せではないという。

それなら内側にしか答えはないのでは?と思います。

 

何でもある時代に、外に見つけることの出来ないものが自分の内側です。

一人じゃ出来ません。

私が今の世界より、もう少しこうだったらいいのにな。と思うのは【みんながやりたいことを好きなように出来る世界】です。

お陰様で私はやりたいことを好きなようにさせてもらっていて、ありがたい限りです。

そして、【みんながやりたいことを好きなように出来る世界】になればいいなと思うから、人の話を聞く仕事をしています。

でも、ここはその入口だなとふと思いました。

私に、心の中にいっぱいに詰め込んでいるものを話してもらって、他のものを入れられる余裕が出来たなら、私は私以外のやりたいことをやっている人たちをご紹介したいなと思います。

なぜなら、そういう人達はみんな優しくて、同じように【みんながやりたいことを好きなように出来る世界】になればいいなと思っているからです。

そういう人と会うと刺激がもらえるし、自分を確立するための材料にもなるし、参考になることもたくさんあるし、何よりとってもいい気分になるのです。

私が実現したいことは私一人じゃ出来ない。そのことに改めて気づきました。

素敵な人たちとの出会いが過去にたくさんあって、やりたいことを好きなように出来ている人たちを知っていることは私の財産です。

ぽこぽこ、ぽこぽこ、泡がはじけるように、みんなの楽しい気持ちが世界に広がっているような気がします。

ぽこぽこ、ぽこぽこ、泡がはじけるように、みんなの楽しい気持ちが世界に広がっているような気がします。

考える方向。

前にソーシャルビジネスと言われるようなことをやっていたとき、私の目は社会の不平等やその被害を受けている人の厳しい現状に向いていました。

それを解決するのに自分に出来る事をしたいと思って行動していました。

でも、ふとあるとき、それでは一向に世界が平和にならないことに気づきました。

 

それよりも、個人個人に今あることの素敵さに気づいてもらうことが大切だと思いました。

 

ほんとうの意味で今に満たされている人は過剰にものを欲しがったりしません。

ほんとうの意味で自分の生活を持っている人は環境を破壊するようなことはしません。

人が訪ねてくれば温かいお茶を出して談笑し、温かい瞬間を一緒にいる人と大切に過ごそうとします。

それだけで世界は平和に傾きます。

 

日本の社会では、大人とは「一人で生きていけるだけのお金を稼げる人」という定義があるような気がします。

でも、自分で生活することを自立だとするならば、発展途上国の人たちが自然とともに今あるものと暮らしている、そのことの方が自立的だと私は感じます。

テクノロジーの進歩や発展、人の努力や希望を否定しているわけではありません。

ただ、最も大切なところ、人の土台をしっかりと固めない上に、わかりやすく見えるものの成果を積み上げてもそれは危ういものにしかならないと思うのです。

ノーベルさんが発明したダイナマイトが戦争に使われるようになってしまったのは、そういうことの最たるものだと思います。

 

不満をたくさん抱えた私たちには恐怖や不安が襲ってきます。

 

どんなに素晴らしい発明でも発見でも、使う人の心で悲しみを増やすことにも喜びを増やすことにも繋げられます。

 

では、どうしたらいいか。というと、それは人それぞれなのですが、ちょっと落ち着いて、自分が満たされたとき、満たされるときについて考えてみてください。

いい映画を観た後の満たされた感、好きな人と一緒に過ごしているときの満たされた感、美味しいものを食べたときの満たされた感、きれいな景色を観たときの満たされた感、その”満たされた感”を思い出してどんなときでもその気持ちでいられるように過ごしてみてください。

その満たされた感が日常の自分の気持ちだったら、世界はどうなるか、想像してみてください。

それが当たり前の世界です。

ボランティアをしたり、ソーシャルビジネスしたりしなくても、日常その気持ちでいることだけで世界は平和になると私は思います。

「自分が駄目だということを確認できました。」という感想をいただきました。

半年間通ってこられていたクライアントさんの最終日。

ちょうど10回の対話を終えての感想を聞かせてもらいました。

すると、「自分が駄目だということを確認できました。」という言葉が返ってきました。

よく理解出来なかったので「よかったら、もう少し教えてもらえますか?」と言うと、

「半年間でもう少し出来ると思っていたけど。出来ないことが確認できました。」と。

就労を目的として私のところに訪ねて来られたこの方。
最初来られたとき「1人だと何をするにも時間がとてもかかるから。」と言われていました。

そして、私のところに来て、一緒にタスクを決めてやってみたけれど、もう少し行動のスピードが上がると思っていたのに1人のときと変わらなかったと感じられたみたいです。

そうか~。

私には他者を変えることは出来ないとわかっていたけど、実際にありのままの言葉を受け取ると、自分が何とか出来るんじゃないかと驕っている部分があったなということに気づきました。

出来れば、話をすることで起こった変化を感じて欲しかったけれど、でも、この方は、私を責めたりされず、ただ、「自分が駄目だということが確認できました。」とだけ言って帰って行かれました。

それもまたあり。

たぶん、自分でゆっくり進んで行かれれば、いつか、どこかにたどり着かれるんじゃないかと思います。

行動して、結果を確認して、もう一度計画を立てて、行動して。
この行動するのが難しいのに、そのハードルは簡単に超えている。

望みが実現することを心から応援しています。