コーチング

”嬉しい”の花が咲く。

誰かの”嬉しい”をキャッチすると、自分の中にも”嬉しい”の花が咲くように感じます。

不思議なことに、”嬉しい”は重なって訪れることが多くて、たった一つでもきらきらしていて、こころがいっぱいなのに、どうしようかと思うくらい満々になります。

そういうときは、雨粒の波紋も嬉しそうに見えるし、鉢植えの緑も嬉しそうに見えるし、ほんとうにありがたいなと思います。

『世界は自分のこころが映し出している』って本当にその通りだなんだなと、素直に思います。

世界は輝いているらしい。

最近、友人と話していて、人によっては世界は輝いて見えているらしいことがわかりました。

毎日、同じ(ように見える)景色を見ていても、毎日新鮮で、うっとりするくらい輝いているらしいです。

 

この話を聞いて、東北の震災で命からがら生きのびた方が「これからは毎日一生懸命生きます。」と言っていたのを思い出しました。

 

たぶん、同じものを見ていても、人によって、またその時の状態によって、世界が宝石のように見えたり、石ころのように見えたりするんだろうと思います。

 

どうしてそういうことが起こるかというと、思考の働きが影響しているようで、思考が【いつもと同じだよ】とか【そんなの知ってるよ】とか目の前のことやものにラベルを貼ることで輝きを失わせているみたいです。

傷つきやすいことはありがたいこと。

ある日の夕方、電動草刈りで畑の草刈りをしていたときのこと。

【そろそろ充電が切れるかな。】【もう終わろうかな。】と思いながら、新しい区画に刃を入れた瞬間、草に覆われていた木の枝にはじかれると同時に、目の前で大きくて色鮮やかな芋虫がぐったりしているのが目に入りました。

【あぁ、殺してしまった。】

もう、一瞬で気が萎えて、その日は家に戻り、なくならないこころのちくちくと向き合っていました。

 

数日後、今度は鍬で草取りをしようと庭にでたときのこと。

最初の一振りがまた、大きくて色鮮やかな芋虫にあたってしまいました。

幸いびっくりさせたくらいで殺しはしなかったのですが、同じようなことが2回も続けて…。

 

【私は何を持っているんだろう?】と自分と向き合う機会になりました。

 

私は、生き物を全く殺さないわけではないし、ベジタリアンでもヴィーガンでもありません。

でも、なるべくなら、殺さなくていいなら嬉しいなぁ。と思います。

 

ゴキブリでも蜘蛛でもムカデでもナメクジでも、外で出会う限りは彼らのお家。

家の中で出会ってもなるべく出ていってもらう。のがいいかなと思っています。

誰かが痛い、かゆい、不快な思いをするときは殺すこともあります。

そういうときは淡々と、なるべく感情を持たないように。

 

だから、植物は強いからありがたいなと思います。

多少切っても大丈夫。

密集した木の葉に虫がたくさんつくのは、葉をすいてくれようとしているのかなとも思います。

 

 

 

最近ではHSP(Highly Sensitive Person)という概念が知られるようになりましたが、私はある時まで、まさにHSP でした。

【あの人、本心言ってないなぁ。】とか【この人、顔が笑ってないなぁ】とか【あ、今ちょっと元気になった】とか、ちょっとしたことで変化する人の顔や雰囲気にとても敏感でした。

そして、大勢で遊ぶのがちょっと苦手で、ひとりでいるときは本を読んだり、木の上でぼーっとしたり、虫や植物に話かけたり、というのを好んでしていました。

 

なので、自分の意思とは関係なく、狭い人間関係の中で過ごさなければいけなかった頃は結構苦しいこともありました。

でも、それが自分と向き合う内観のチャンスだと知ってからは、感じやすいという気質はなんと恵まれていることかと思うようになりましたし、大勢の中でも人を見ることばかりをしなくなりました。

 

そんな私が、最近、友人から「ホ・オポノポノ」について書かれた本を借りていいなと思ったことがあります。

それは、こころがざわつく何かが起こったとき、ただ【ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています】とこころの中で唱えるとその原因となっている記憶をクリーニングすることが出来るというものです。

 

普段はなるべく自分がどんな思いを持っているのかを深く深く感じようとしますが、ときに『大きくて色鮮やかな芋虫を殺してしまう。』ということを深く掘り下げても【よくわからない。】に行きあたるということがあります。

そういうときは、あまり深追いし過ぎず、ホ・オポノポノの【ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています】を使って、深い気づきは後から来るのに任せるということで放っておけるなと思いました。

 

詳しくはたくさん出ている書籍を読んでみてください。

ホ・オポノポノ公式サイト

 

 

自分はなくならない。

自分を縛り付けているストーリーを手放すにはそのストーリーと素直に向き合うことが大切です。

タイミングがあるので無理にとはいいません。

でも、何度も何度も同じことが繰り返されているなら、それは何度も何度もタイミングが来ているということだと知ってください。

そして、向き合わない限りそれは何度も何度も繰り返されます。

大縄跳びの何度も何度もやってくるタイミングのように。

それにいつ飛び込むかは自分次第です。

 

例えば、こんな面白いことを言うおばあさんがいました。

ある地域のイベントで食事の後片付けをしていたときのこと。

先に流しでお皿を洗ってくれていたおばあさんに「変わります。」と声をかけたら、

「年寄りがお皿洗いしたら迷惑よね。」と言われました。

全く意味がわからなかったので「どうしてですか?」とたずねると、「汚いでしょ。」と。

びっくりして「え?どういうことですか?」とたずねると、誤魔化されてしまいました。

 

きっとその方の人生の中で、若い方がお年寄りに向かってそう言っている場面に出会って、それをすっかり自分の中に組み込んでしまったのだと思います。

その奥には、その方自身の無価値観とか何か根底にあるネガティブな感情がリンクしていると思います。

 

こんな風に、自分のこころの奥のネガティブな感情は、外の世界の出来事でタグ付けされていきます。

そして記憶としてしまっておかれ、それを握りしめていることに気づかない限り、何度でも同じような体験をもらたします。

 

なぜなら、ネガティブな感情ですら自分の一部と思い込んでいるので、それを失くしてしまうと、自分がなくなってしまうんじゃないかと思ってこわいからです。

 

客観的にみたら【そんな考えはさっぱり失くしてしまえばいいのに】と思うようなことでも、当事者にとっては自分のアイデンティティを作るもとになっているものなので、なかなかこわくて手放せません。

でも、やってみるとわかりますが、想像しているようなこわいことは少しも起こりません。

 

ただ握りしめていたことに気づき、自分を苦しめていたことに気づき、その想いが消えていくことがわかるだけです。

そして、すっきり、爽やかな風がこころに吹きます。

 

コツがわかると次のタイミングが待ち遠しくなるくらいに楽しみでありがたいものだと思っています。

誰もが自分で物語を作っている。

ある時、友人が新聞の取材を受けるというのでお茶出し係としてついて行ったことがあります。

記者の方は事前に色々と調べてくれていた上に、1時間くらいたっぷり取材をして、楽しそうに帰って行きました。

 

そして後日、その記事が新聞に掲載されたのですが、内容がちょっと違うのです。。。

大まかなところは間違いないのですが、小さなところがちょっと付け足されているというか、ちょっと違うんだけどな~。という内容になっていました。

 

基本的に新聞は取材された側が記事をチェックしたり出来ないし、もう記事になった後だったので、まぁ、いいか。となったのですが、この時改めて『人は自分の中で物語を紡ぎだす生き物だな~。』と感じました。

 

おにぎりの気づき。

あるワークショップに参加したときのこと。

ちょっとしたゲームをするのにペアを作ることになり、初対面の女性とお話する機会がありました。

歳は40代後半くらい、高校生と大学生のお子さんが2人いる女性で、柔らかい雰囲気がとってもよくて、すぐに仲良くなれそうだと思いました。

 

そのワークショップは11時から15時までだったので、途中、お腹が空いた私は「お腹すきましたね~」とその方の傍らでかばんから持参したおにぎりを取り出しました。

その方もお腹が空いたけれど、何も持ってきてないと言われたので、私たちは1個のおにぎりを半分こして食べることにしました。

 

すると、【美味しいな~】と幸せを感じながらおにぎりを食べていた私の横で、突然、その方が涙し始めたのです。

【どうしたのかな?】と思っていたら、「誰かが握ってくれたおにぎりを久しぶりに食べました。」って泣いていたのです。

お母さんが亡くなってからそんな機会がなかったからって。

 

半分のおにぎりは、お母さんのことや、お母さんがいなくなってからの毎日、その他、こころに溜めていたいろんなことを感じるきっかけになったのだな~。気づけてよかったな~。と思いました。

みんなが幸せになりたい!

最近読んだ本に「みんなが、幸せになりたい、苦しみから逃れたいと思って行動している。」と書いてあって、【そうだな~。】と思いました。

大っ嫌いなあの人も、幸せになりたい、苦しみから逃れたいと思って行動していると思うと【なんだ、同じだ~。】という感じがします。

強い方が幸せで苦しみが少ないと思っている人がマウントとってきたり、お金が多い方が幸せで苦しみが少ないと思っている人がお金に執着したり、見た目がいい方が幸せで苦しみが少ないと思っている人が人目を意識したり、とにかく、幸せになるため、苦しみから逃れるために頑張るのですが、この思い込みを思い込み・ただの概念だと気づいたなら【なんだ、そういうことか~。】って緊張がほぐれるんじゃないかと思います。

 

メチャくん絵本

友人で絵本作家のさかいみるさんがホームページで絵本を無料ダウンロードできるようにしています。

ダウンロードはこちらから:メチャくん絵本

毎日の中にある輝きを純粋に喜ぶことが大得意な、みるさんの描いた世界を感じてみてください。

そして、今自分の中にある素直なきもちも見つめてみてください。

 

cojicoji

みなさんお元気ですか?

私は最近youtubeでコジコジを面白く観ています。

コジコジかわいいし、登場人物も面白いし、気づきがいっぱいです。

同じことをしても違うことになる。

昔話によくある、いいことがあったおじいさんを真似て、別の欲張りさんが同じことをするけれど大変な目にあうというお話。

こぶとりじいさん然り、したきりすずめ然り、はなさかじいさん然り。

ここで昔の人が伝えたかったのは『同じことをしたとしても、その心もちで全く違うものになるよ。』ってことじゃないかなと思います。

 

心もちで同じものが違うものになるのは、出来事もそうですが、言葉もそうだと思います。

「今ここに生きる」という言葉を『今さえよければいい。』という風にとらえて【けしからんことだ】とか【危ない考えだ】という人がいますが、「今ここに生きる」というのは『今に満たされて生きる。』ということで贅沢をすることでも自己中心的な行いをすることでもありません。

 

何でもない日常が【退屈】でもなく、【憂鬱】でもなく、【何か楽しいことはないだろうか】と外を探し回るでもなく、【何かしなければならない】と焦るでもなく、ただただ愛おしい。

そう頭で『思う』のではなく、心で『感じる』ときが【今にいる】ときではないかと思います。