コーチング

いのちのテンポ。

どうして自然や植物に安らぎを感じるのか、ふと、こんな考えが浮かんできました。

植物は動物のように動くことが出来ません。

脳と呼ばれる器官もありません。

その代わり、傷つけられても新しく芽吹くことが出来、死に対して動物ほど恐れを抱くこともありません。

お陰で、急ぐことなく、いのちのテンポのままに育っていくことができます。

人から見ると、ゆっくり、ゆっくり、のようにみえるこのテンポが いのちのテンポだという気がします。

人がいくら急いでも、このテンポが全体のテンポなので、抵抗を感じる気がします。

気がせくときは植物からいのちのテンポを感じてみるといいかもしれません。

すると、自然に、無理なく花を咲かせ、実を結ぶ準備が出来る気がします。

不毛な戦いは終わり。

体といのちがあって、思考が生まれることがわかりました。

そしたら、思考の優劣、上下を取り合う戦いは不毛なことがわかりました。

体といのちがのびのび、元気に楽しく過ごせることが一番。

「われおもう、ゆえに、われあり。」ではなく、

「われあり。ゆえに、われおもう。」でした。

苦しいこころと話す参考マンガ

とっても参考になる苦しいこころの出来方、こころとの話し方がマンガになっていたのでシェアします。

是非読んでみてください。

リンクはこちら。-EMI-さんの漫画

苦しいこころは自分で話を聞いてあげると消えていくんだなぁ。

しかも、こころは現実を変えて欲しいわけじゃなくて、ただ話を聞いて欲しいだけという可愛い子。

結果的に、こころの話を聞くと変化があらわれるんだけど、それは全部自分が楽になることに繋がるんだからこころは優しい子です。

子どもの発想をどう受けとめるか

友人がfacebookに子どもの書初めの宿題を投稿していました。

小学4年生の息子さん。

大きな縦長の半紙に「お正月」と大きく、堂々とした字を書いていました。

と、ここまでは普通なのですが、笑えるのがお題の横の名前。

その子の名前は画数の多い”瀧口”くん。

筆で”瀧”と書くのが出来ないと判断したのか、面倒臭かったのか、”谷口”と堂々と書いてありました。

「”谷口”って誰よ?」と呆れた感じでママは投稿していましたが、自分の名前を変えてしまうなんて、その発想が私にはなかったので大笑いしました。

友人であるその子のママも結構ぶっ飛んだ(発想力豊かな)人なので【この母にしてこの子ありだな】と思ったのですが、

果たして、宿題を出した先生は怒るのか、笑うのか、褒めるのか、呆れるのか、はたまた、どう受けとめるんだろう。

みなさんが先生だったら、親だったら、どう受けとめますか?

私だったら、どうして”谷口”にしたのかまず聞いてみたいなと思いました。

ひとりひとりが違うピース

あなたの星座は何座ですか?

私はおうし座です。

では、あなたの月星座は何座ですか?

さっき、偶然、月星座というのがあると知って自分のを調べてみました。

そしたら、私の月星座はうお座でした。

サイトによって書いてあることは色々ありますが、月星座がうお座の人はこんな特徴があるようです。

・共感力が高い(自分と他者や世界との境界がうすい)
・柔軟性が高い(優柔不断)
・想像力が豊か(現実と空想の世界の間に生きている)
・マイペース

そして、『毎日同じ場所に出勤して、同じ仕事をすることに向かない』と書いてありました。

ぐうの音もでない。。。その通りです。

一方で、太陽星座のおうし座は現実的な星座らしく、五感を使ってこの世界を味わえるよう、社会的に安定した暮らしを望むとありました。

これも納得。安定した暮らし大好きです。

そして、今はこれがどちらも叶っているから、こんなに楽しいんだなと思いました。

でも、これは私の話。

人によっては、毎日同じ場所に出勤して、同じ仕事をすることが楽しい人もたくさんいると思いますし、夢を追ってチャレンジし続けるのが楽しい人もたくさんいると思います。

そう思うと、人って本当に十人十色。パズルのピースみたいです。

形も、色も、ハマる場所も全然違うけど、一つのパズルを完成させるにはどれも大事。

違うところに押し込まれても、ハマらなくて辛い。

【星占いなんて、根拠のない無意味なものでしょ。】と思う人もいるかもしれませんが、星の位置によって光や重力の関係が変化すると考えると全く根拠がないとも言い切れません。

それに、星占いは統計学の要素が強いらしいです。

コロナで自分に向き合う時間が出来た今は自分にぴったりの場所を探す機会かもしれません。

今まで敬遠していたものの中にぴったりくるものがあるかもしれません。

【絶対ここじゃないし】と思っていた場所に置いてみたらハマった。なんてこともあるかもしれません。

今が楽しくないなという方は、一度、今確立している自分を揺り動かしてみるといいかもしれません。

2択思考を緩める

がちがちの2択思考だと、苦しいだろうなと思うことがありました。

「やるか、やらないか。」

なんて言われたら、もう、2択しかないようなものに見えてきて、考える前に【やりたくないな。】という気持ちが生まれそうです。

でも、「やるか、やらないか。」をぼんやりみてみると、

「出来るところまでやる。」とか

「難しそうだったら手伝って。」とか

「水曜日はやるけど、その他の日はしない。」とか

「こういうやり方をしていいんだったらする。」とか

「この人と一緒だったらする。」とか

2択以上の選択肢が色々作り出せます。

何かを選ばなければいけないときは、
どんなオプションがあるのか、
どんな選択肢が作り出せるか色んな人と考えてみるといいかもしれません。

ささやかさの中にある大きな喜び

今年もご近所の絵本作家さかいみるさんの新作絵本が出来ました。

2011年に東北で大震災が起きたことをきっかけに始まった『絵本deえがおプロジェクト』。

毎年この時期に新作絵本を無料で被災地の子供たちに贈っているのですが、縁あってその活動のお手伝いをしています。

今年でちょうど10作目にあたる絵本のタイトルは「ながれぼし」。

表紙には温かいココアを手に星空を眺める、くろねこのメチャくんと、おはなのようせいコロちゃんが描かれています。

この絵を見ているだけでほっこりしますが、ストーリーの中にも優しいメッセージが込められているんですよ。

さらに、今年は活動に参加している方に向けて「絵本deえがおだより」というお便りも作って一緒に配ることになりました。

そのお便りの中に、

「ひとりぼっちじゃないよ。」ということを伝えたいおもいからはじまり、(中略)多くの方が経験できるようなこと、星空や虹を見て楽しんだり、お茶を飲んだり、お手紙を書いたり・・・。ささやかさの中にある大きな喜び、そういうことを題材にして、これからもこつこつ創ってゆきたいです。

絵本deえがおだより創刊号より

という、作者さかいみるさんの言葉があります。

みるさんと出会って数年が経ちますが、一緒に過ごす中で教えてもらったのが、”今”が全てなのだという真実です。

それをどれだけ喜べるか、感じられるか、それがわたしたちに出来る最大のことなんだと、わかるときもあるような、わからなくなるときもあるような。

・・・わからなくなったときのために、みるさんの絵本はあるのかもしれません。

さて、もうすぐクリスマスがやってきますね。

昔はクリスマスなんてただの行事でしたが、2年間キリスト教徒の家族と過ごした経験をもつ今はクリスマスがどんなに大切なものか感じるようになりました。

私はキリスト教徒ではないですが、このクリスマスを迎えられることに感謝して、世界中の人と同じ喜びを共有できたらいいなと思います。

どうぞみなさんも、幸せなクリスマスをお過ごしください。

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新作絵本「ながれぼし」はAmazonでもご購入いただけます。

絵本deえがおのwebsiteにはみるさんのブログや過去の作品を無料でダウンロードできるページもあるのでアクセスしてみてくださいね。

プラケーター(慰め役)・イネイブラー(支え手)

必要とされたい人。

誰かを助けたい人。

自分を後回しにして、尽くす人。

誰かの役に立つことでしか自分の存在価値を認められない人。

怒りの感情が乏しい人。

そんな人はプラケーター(慰め役)やイネイブラー(支え手)かもしれません。

子供の頃に、辛い目に合っている家族の話を聞いたり、仲を取り持つことで家族を支えた経験を持つ人にみられるプラケーター(慰め役)。

ギャンブルやアルコール依存など精神的な病気を抱えた家族や知り合いの肩代わりをしたり、後始末を請け負うイネイブラー(支え手)。

そんな言葉があることを初めて知りました。

そして、私はプラケーター(慰め役)だったなと思いました。

自分が人助け以外何をしたいかわからなかったし、怒りを感じることはほとんどなく、全部悲しみでした。

でも、自分の声を聞くようになって、自分の内側が抱えている物語に気づいて、
ほんとうはみんな真っ新で、その上に物語を作っているんだとわかってから、
過去の物語は終わりました。

誰も助けなければいけない可哀想な人ではないし、何があっても大丈夫。

それはほんとうに有難いことだと思います。

虚無、こころの穴の作り方

ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』という映画を観て思いました。

虚無は自分が他の人と違うところを見つけて【あの人とは分かり合えない】という壁を作ることで出来るんだなと。

映画は、アメリカから仕事や旅行で別々に日本を訪れた男女2人がホテルで知り合い、お互いの虚無に共感して仲良くなっていくという物語です。

その中で、
女「どうして日本人はLとRがわからないの?」
男「わざとやってるんだよ。」
という会話がありました。

アメリカから来た2人はLとRの区別がある世界に住んでいて、日本人はそれがない世界に住んでいる。
2つの言語を使っている人たちは分かり合えない。

そう感じているように思えました。

こころにどこか埋まらない穴があるような気がしているとき、そうやって、人と自分が違うところを見つけて分かり合えないという壁を作っているのかもしれません。

わがままなあの人と私は違う。
バカなあの人と私は違う。
嘘つきなあの人と私は違う。
可愛いあの人と私は違う。
ブサイクなあの人と私は違う。
お金持ちのあの人と私は違う。
ケチなあの人と私は違う。
悪いあの人と私は違う。
働いてないあの人と私は違う。
結婚してないあの人と私は違う。
子どもがいないあの人と私は違う。
親がいるあの人と私は違う。
健康なあの人と私は違う。
暇なあの人と私は違う。
才能があるあの人と私は違う。
空気読めないあの人と私は違う。

優越でも卑下でも、どちらの視点からでも壁は作れます。
そして、それをもとに【私とあの人とは分かり合えないのだ】と思うことができます。

でも、それはまぼろしです。
まぼろしと気づくと壁はなくなって、虚無、こころの穴は満たされていきます。

罪悪感はいらない。いい思い出も手放す。

アドラー心理学の教えで人が陥りやすい物語のパターンとして【かわいそうなわたし】【悪いあの人】というのがあると書きました。

これにプラスして【悪いわたし】【かわいそうなあの人】のパターンもあると思います。

【あの時私が助けてあげていたら】とか【私のせいであの人は自由に生きられなかった】とか、物語にあわせて色々な【悪いわたし】と【かわいそうなあの人】が作られますが、自分を責めるのと他人の悪口を言うのは同じです。

人の悪口は絶対言わない出来たように見える人でも、自分の悪口を言っていたら一緒です。

どちらもいりません。

まず、他の人を勝手に”かわいそうな人”にしませんように。お願いします。

それから【あの時私が・・・】とか何とか思考が責めてきたら、【ほうほう。そう思うのね~。OK】と受け入れて流してください。

【私はいない方がいい】とかそういう思考も同じく【ほうほう。そう思うのね~。OK】と受け入れて流してください。

いつまででも過去に囚われていたら、今を生きられません。

同じように、楽しかったり、嬉しかったりした素敵な思い出も、それにずっとしがみついていたら今を生きられません。

感情はその瞬間に素直に、ひたすらに味わって、流します。

美味しいものを食べて、栄養を吸収したら、排せつします。

甘いものも、辛いもの、苦いものも、美味しくいただいたら、溜めておかないで流します。

そして、目の前の今に集中します。
今はとっても新鮮で何が起こるかわかりません。

全て見逃さないようにしたいものです。