どうしてキリスト教ではどんな悪いことをしても懺悔すると救ってもらえるんだろう。
とても不思議でした。
でも、今はわかるような気がします。
なぜなら、自分を責めるということも、自己のアイデンティティの強化に繋がるからです。
【あの時ああしていたら】【あの時あんな事をしなければ】と過ぎたことを思い続けている自分がいる。
それが自分なんだ。と。
目の前にないことをどれだけ抱えていてもこころは重たくなるばかりです。
とはいえ、そのずっと抱えているものを抱えていたい
自分の本音に目を向けないと、
簡単には手放せるものではないとも思います。
そういう意味で、キリストをこころの底から信じている人なら
ただ懺悔すれば救われる、何をしたとしてももう忘れていい
という赦しが約束されているのはありがたいものだなと思います。
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