2020年 7月 の投稿一覧

”嬉しい”の花が咲く。

誰かの”嬉しい”をキャッチすると、自分の中にも”嬉しい”の花が咲くように感じます。

不思議なことに、”嬉しい”は重なって訪れることが多くて、たった一つでもきらきらしていて、こころがいっぱいなのに、どうしようかと思うくらい満々になります。

そういうときは、雨粒の波紋も嬉しそうに見えるし、鉢植えの緑も嬉しそうに見えるし、ほんとうにありがたいなと思います。

『世界は自分のこころが映し出している』って本当にその通りだなんだなと、素直に思います。

世界は輝いているらしい。

最近、友人と話していて、人によっては世界は輝いて見えているらしいことがわかりました。

毎日、同じ(ように見える)景色を見ていても、毎日新鮮で、うっとりするくらい輝いているらしいです。

 

この話を聞いて、東北の震災で命からがら生きのびた方が「これからは毎日一生懸命生きます。」と言っていたのを思い出しました。

 

たぶん、同じものを見ていても、人によって、またその時の状態によって、世界が宝石のように見えたり、石ころのように見えたりするんだろうと思います。

 

どうしてそういうことが起こるかというと、思考の働きが影響しているようで、思考が【いつもと同じだよ】とか【そんなの知ってるよ】とか目の前のことやものにラベルを貼ることで輝きを失わせているみたいです。

すごくいいのが出来た。

ある女性に、「初めて自分の子供と対面したときどうでしたか?」と聞いたことがあります。

すると、その女性は「すごくいいのが出てきた。と思った(笑)。」と言いました。

私はその言葉を聞いて【その感じ、とてもいいな~。】と嬉しくなりました。

 

また別の女性は自分のお子さんを見て「私は天使を生んだかもしれない。と思った。」と言っていました。

 

この世界を生み出した大きなものも、きっと同じことをおもっているんだろうなと思います。

 

【すごくいいのが出来た。】って。

傷つきやすいことはありがたいこと。

ある日の夕方、電動草刈りで畑の草刈りをしていたときのこと。

【そろそろ充電が切れるかな。】【もう終わろうかな。】と思いながら、新しい区画に刃を入れた瞬間、草に覆われていた木の枝にはじかれると同時に、目の前で大きくて色鮮やかな芋虫がぐったりしているのが目に入りました。

【あぁ、殺してしまった。】

もう、一瞬で気が萎えて、その日は家に戻り、なくならないこころのちくちくと向き合っていました。

 

数日後、今度は鍬で草取りをしようと庭にでたときのこと。

最初の一振りがまた、大きくて色鮮やかな芋虫にあたってしまいました。

幸いびっくりさせたくらいで殺しはしなかったのですが、同じようなことが2回も続けて…。

 

【私は何を持っているんだろう?】と自分と向き合う機会になりました。

 

私は、生き物を全く殺さないわけではないし、ベジタリアンでもヴィーガンでもありません。

でも、なるべくなら、殺さなくていいなら嬉しいなぁ。と思います。

 

ゴキブリでも蜘蛛でもムカデでもナメクジでも、外で出会う限りは彼らのお家。

家の中で出会ってもなるべく出ていってもらう。のがいいかなと思っています。

誰かが痛い、かゆい、不快な思いをするときは殺すこともあります。

そういうときは淡々と、なるべく感情を持たないように。

 

だから、植物は強いからありがたいなと思います。

多少切っても大丈夫。

密集した木の葉に虫がたくさんつくのは、葉をすいてくれようとしているのかなとも思います。

 

 

 

最近ではHSP(Highly Sensitive Person)という概念が知られるようになりましたが、私はある時まで、まさにHSP でした。

【あの人、本心言ってないなぁ。】とか【この人、顔が笑ってないなぁ】とか【あ、今ちょっと元気になった】とか、ちょっとしたことで変化する人の顔や雰囲気にとても敏感でした。

そして、大勢で遊ぶのがちょっと苦手で、ひとりでいるときは本を読んだり、木の上でぼーっとしたり、虫や植物に話かけたり、というのを好んでしていました。

 

なので、自分の意思とは関係なく、狭い人間関係の中で過ごさなければいけなかった頃は結構苦しいこともありました。

でも、それが自分と向き合う内観のチャンスだと知ってからは、感じやすいという気質はなんと恵まれていることかと思うようになりましたし、大勢の中でも人を見ることばかりをしなくなりました。

 

そんな私が、最近、友人から「ホ・オポノポノ」について書かれた本を借りていいなと思ったことがあります。

それは、こころがざわつく何かが起こったとき、ただ【ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています】とこころの中で唱えるとその原因となっている記憶をクリーニングすることが出来るというものです。

 

普段はなるべく自分がどんな思いを持っているのかを深く深く感じようとしますが、ときに『大きくて色鮮やかな芋虫を殺してしまう。』ということを深く掘り下げても【よくわからない。】に行きあたるということがあります。

そういうときは、あまり深追いし過ぎず、ホ・オポノポノの【ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています】を使って、深い気づきは後から来るのに任せるということで放っておけるなと思いました。

 

詳しくはたくさん出ている書籍を読んでみてください。

ホ・オポノポノ公式サイト

 

 

自分はなくならない。

自分を縛り付けているストーリーを手放すにはそのストーリーと素直に向き合うことが大切です。

タイミングがあるので無理にとはいいません。

でも、何度も何度も同じことが繰り返されているなら、それは何度も何度もタイミングが来ているということだと知ってください。

そして、向き合わない限りそれは何度も何度も繰り返されます。

大縄跳びの何度も何度もやってくるタイミングのように。

それにいつ飛び込むかは自分次第です。

 

例えば、こんな面白いことを言うおばあさんがいました。

ある地域のイベントで食事の後片付けをしていたときのこと。

先に流しでお皿を洗ってくれていたおばあさんに「変わります。」と声をかけたら、

「年寄りがお皿洗いしたら迷惑よね。」と言われました。

全く意味がわからなかったので「どうしてですか?」とたずねると、「汚いでしょ。」と。

びっくりして「え?どういうことですか?」とたずねると、誤魔化されてしまいました。

 

きっとその方の人生の中で、若い方がお年寄りに向かってそう言っている場面に出会って、それをすっかり自分の中に組み込んでしまったのだと思います。

その奥には、その方自身の無価値観とか何か根底にあるネガティブな感情がリンクしていると思います。

 

こんな風に、自分のこころの奥のネガティブな感情は、外の世界の出来事でタグ付けされていきます。

そして記憶としてしまっておかれ、それを握りしめていることに気づかない限り、何度でも同じような体験をもらたします。

 

なぜなら、ネガティブな感情ですら自分の一部と思い込んでいるので、それを失くしてしまうと、自分がなくなってしまうんじゃないかと思ってこわいからです。

 

客観的にみたら【そんな考えはさっぱり失くしてしまえばいいのに】と思うようなことでも、当事者にとっては自分のアイデンティティを作るもとになっているものなので、なかなかこわくて手放せません。

でも、やってみるとわかりますが、想像しているようなこわいことは少しも起こりません。

 

ただ握りしめていたことに気づき、自分を苦しめていたことに気づき、その想いが消えていくことがわかるだけです。

そして、すっきり、爽やかな風がこころに吹きます。

 

コツがわかると次のタイミングが待ち遠しくなるくらいに楽しみでありがたいものだと思っています。