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2019年 12月 の投稿一覧

背負っているものは自分の荷物だけじゃない。

今この世界にいる私たちは、たくさんの人たちが子を産み、育ててきた縁と繋がりのあらわれだなと思います。

だから、私たちが含んでいるものはただ、自分の分だけの思いや考えだけではありません。

整える順番。

私たちが持っている、こころとからだについて、整えようと思ったとき、からだは整体に行って一時的に整えてもらうことが出来ます。

からだとこころは繋がっているので、一時的にこころも整います。

その反対、こころを整えることでからだを整えることも出来ます。

 

ヨガや瞑想は自分でこころとからだを整えられるようになるための一つの方法です。

 

ここで、自分が整ったとしましょう。

ほんとうに健康で、こころもからだも軽く、世界が輝いている。

そういう状態になったとき、他の人はどう見えると思いますか?

 

たぶん、他の人も自分と同じように輝いて見えるんだと思います。

 

一時的に辛そうに見えたり、怒っているように見えたとしても、自分が整っていると、整っている状態のその人の存在を疑いなく感じることが出来るので、きっとそっと応援したり、そばに居たり、微笑みかけたり、そういうことでほんとうのその人が感じられるようにちょっとお手伝いするんだと思います。

 

誰もが社会的にわかりやすく、大きく見えることを成し遂げる役割を担っているわけではありません。

 

でも、誰もが自分を整えることで、周りにいる人を整えることが出来ます。

それはもう奇跡と呼べるくらい輝いていることです。

 

今日もいい一日でした。

みなさんもいい一日を過ごされていますように。

髪を切りに行くように、コーチング。

コーチング。

最近耳にする機会が増えたような気がします。

私もコーチングをしています。

気軽に、髪を切るように、自分の中に持っているものを話して、すっきりして帰ってもらう。

そんなイメージでやっています。

 

今日来られた方は、昨日知り合ったばかりの方でした。

来年、春にお店をオープンされる方で、知り合いから「コーチングを受けるといいよ。」と勧められていたそうです。

そんな時に出会ったご縁で足を運んでいただきました。

 

今日はセッションをしていて【選択】というキーワードが出てきたのですが、何かを選択するときは、こころや体をよく観察してみるといいかもしれません。

 

よく感じるのは真面目にしていると、重たい方を選びやすいということです。

他の人に何かしてあげたいという気持ちがはやると、自分にとっては重たい方を選びやすいです。

頭が良くて、強い人はこちらの選択をする方が多いです。

そして、その重たさすら乗り越えて行くことを楽しみます。

強いです。

 

でも、同じときに、軽く、力をそれほど出さずとも進める選択もあります。

 

これはどちらを選ぶ方がいいというわけではありません。

 

そして、やらないことも選択のひとつにあります。

 

選択肢は広いということを知っておくことがミソです。

 

忘年会シーズン、人の誘いを断り切れない方、ちょっと考えてみてください。

断る重さを考えたら、断らずに誘いにのる。という方もいるかもしれません。

が、ここで、返事をした後の自分に焦点をあててみます。

 

思い切って断って、好きなことをしている自分が見えるならこれは軽い選択。

思い切って断って、断って悪かったかなと思って重たい気持ちでいるなら重い選択。

誘いにのって、楽しんでいる姿が想像出来るなら軽い選択。

誘いにのって、断ればよかったなと思っているようなら重い選択。

どっちを選んでも、何を選んでもいいですが、選択をした後も、自分次第で軽くも重くも出来ます。

 

話を聞くのは得意なのですが、説明は下手ですみません。

何となくわかっていただけると嬉しいです。

 

今日もいい一日でした。

みなさんもいい一日を過ごされていますように。

一人じゃ出来ません。

私が今の世界より、もう少しこうだったらいいのにな。と思うのは【みんながやりたいことを好きなように出来る世界】です。

お陰様で私はやりたいことを好きなようにさせてもらっていて、ありがたい限りです。

そして、【みんながやりたいことを好きなように出来る世界】になればいいなと思うから、人の話を聞く仕事をしています。

でも、ここはその入口だなとふと思いました。

私に、心の中にいっぱいに詰め込んでいるものを話してもらって、他のものを入れられる余裕が出来たなら、私は私以外のやりたいことをやっている人たちをご紹介したいなと思います。

なぜなら、そういう人達はみんな優しくて、同じように【みんながやりたいことを好きなように出来る世界】になればいいなと思っているからです。

そういう人と会うと刺激がもらえるし、自分を確立するための材料にもなるし、参考になることもたくさんあるし、何よりとってもいい気分になるのです。

私が実現したいことは私一人じゃ出来ない。そのことに改めて気づきました。

素敵な人たちとの出会いが過去にたくさんあって、やりたいことを好きなように出来ている人たちを知っていることは私の財産です。

ぽこぽこ、ぽこぽこ、泡がはじけるように、みんなの楽しい気持ちが世界に広がっているような気がします。

ぽこぽこ、ぽこぽこ、泡がはじけるように、みんなの楽しい気持ちが世界に広がっているような気がします。

考える方向。

前にソーシャルビジネスと言われるようなことをやっていたとき、私の目は社会の不平等やその被害を受けている人の厳しい現状に向いていました。

それを解決するのに自分に出来る事をしたいと思って行動していました。

でも、ふとあるとき、それでは一向に世界が平和にならないことに気づきました。

 

それよりも、個人個人に今あることの素敵さに気づいてもらうことが大切だと思いました。

 

ほんとうの意味で今に満たされている人は過剰にものを欲しがったりしません。

ほんとうの意味で自分の生活を持っている人は環境を破壊するようなことはしません。

人が訪ねてくれば温かいお茶を出して談笑し、温かい瞬間を一緒にいる人と大切に過ごそうとします。

それだけで世界は平和に傾きます。

 

日本の社会では、大人とは「一人で生きていけるだけのお金を稼げる人」という定義があるような気がします。

でも、自分で生活することを自立だとするならば、発展途上国の人たちが自然とともに今あるものと暮らしている、そのことの方が自立的だと私は感じます。

テクノロジーの進歩や発展、人の努力や希望を否定しているわけではありません。

ただ、最も大切なところ、人の土台をしっかりと固めない上に、わかりやすく見えるものの成果を積み上げてもそれは危ういものにしかならないと思うのです。

ノーベルさんが発明したダイナマイトが戦争に使われるようになってしまったのは、そういうことの最たるものだと思います。

 

不満をたくさん抱えた私たちには恐怖や不安が襲ってきます。

 

どんなに素晴らしい発明でも発見でも、使う人の心で悲しみを増やすことにも喜びを増やすことにも繋げられます。

 

では、どうしたらいいか。というと、それは人それぞれなのですが、ちょっと落ち着いて、自分が満たされたとき、満たされるときについて考えてみてください。

いい映画を観た後の満たされた感、好きな人と一緒に過ごしているときの満たされた感、美味しいものを食べたときの満たされた感、きれいな景色を観たときの満たされた感、その”満たされた感”を思い出してどんなときでもその気持ちでいられるように過ごしてみてください。

その満たされた感が日常の自分の気持ちだったら、世界はどうなるか、想像してみてください。

それが当たり前の世界です。

ボランティアをしたり、ソーシャルビジネスしたりしなくても、日常その気持ちでいることだけで世界は平和になると私は思います。

「難しい。」って言いたくない。

「難しい。」って言いたくないなと思いました。

「海外旅行に行きたいんだけど、行くんだったら10日間は欲しいから、そんなに休み取れないし、難しいよね。」

とか、

「この日、本当は休みたいんだけど、年末で忙しいし、みんなに迷惑かかるし、難しいよね。」

とか、

「このお店行ってみたいんだけど、人気だから予約とるの難しいよね。」

とか。

普段こんな風に「難しい。」という言葉を使う機会があると思うのですが、この「難しい。」は言いたくないなと思います。

何だか、言った瞬間に自分で自分を窮屈な枠に入れてしまったような感じがするからです。

「じゃあどうしたらいいの?」と言われたなら、私は「言わない。」に越したことはないと思います。

「言わない。」というのは、例え【難しい】と思っていたとしても、口に出さないということです。

知らない間に自分にかけている言葉の呪縛、結構あると思うのです。

単純なことですが、塵も積もれば山となる。

積もって払うのが大変になる前に、一度口ぐせチェックしてみてください。

理想はモモ。

カウンセラーは残念なお仕事?

お医者さんも、カウンセラーも普通に考えたらどうかしてる人だなと思いました。

みんなが元気で楽しく過ごしているときは忘れられて、不調になったときに思い出されるという、残念なお仕事。

毎日不調な人に会い続けるお仕事。

それを選ぶなんてどうかしてます。普通に考えたら。

不調な人たちと毎日会ってたら病んじゃうんじゃない?という視点で見ると、病む人もいると思います。

 

不調はその人そのものではない。

でも、私が接する人を見ている限り、ご本人は不調を抱えていらっしゃるのかもしれませんが、その不調を度外視するととても素敵な方ばかりです。

不調はその人そのものではないなとほんとうに思います。

だから、この仕事は素敵な方と出会える素敵な仕事だと思います。

 

変な人が来たらどうする?

時々、「変な人が来たらどうするの?」と言われることがありますが、正直、変な方が来たことがないのでわかりません。

もし、「風邪を治して欲しくて来ました。」というような【私のところに来てもな~】と感じる方がいらっしゃったら、「他のところに行かれた方がいいと思います。」と別の場所を探すことをオススメします。

それでも来られるなら、きっと何か理由があると思うので、お話を聴きます。

お話されずに黙ったままでも、一緒に過ごします。

ただそれだけです。

 

理想はモモ

ドイツの作家ミヒャエル・エンデがかいた「モモ」という小説があります。

私の理想はその主人公のモモです。

むかし、むかし、大きな都会にあらわれた小さな少女。

見た目はぼろぼろ。だけど、人の話を聞くことが素晴らしく上手な女の子。

少し本文を引用すると

たとえば、こう考えている人がいたとします。おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間のなかのケチなひとりで、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ、べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。するとしゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。

こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!

(「モモ」ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳、岩波少年文庫)

ただただ純粋に、ほんとうに聞くことのできるモモ。

たぶん、この世界やみんなのことが純粋に好きだから出来ることだと思います。

人と向き合うとき、自分は相手の鏡に、相手は自分の鏡になります。

不調ばかりに目がいく方に、不調以外の素敵な自分に気づいてもらえたらいいなと思います。

やりたいことが見つからない。

【やりたいことが見つからない。】は【休みたい。】ってこと?

【やりたいことが見つからない。】そう思う方。

休みたくないですか?

「何もしなくていいよ。お金の心配とかもしなくていいから、とにかく今は休んで。たくさん寝て、美味しいもの食べて、ゆっくり休んで。」って言われたら嬉しくないですか?

私だったら嬉しいです。

何か【生きているだけでいいんだよ。】って言われているような気がして楽になれそうです。

 

生きていたらお腹は空きます。

【どうして日本には自分を酷使する人がこんなにたくさんいるんだろう。】

そう思ったときにピンと来たのが【何かしなくちゃ生きていてはいけない。】という暗黙の前提があるからということでした。

「働かざる者食うべからず」という格言がありますが、世間一般では「働く者」=「お金・価値を生み出す者」と捉えられているように感じます。

でも、私は「働く者」=「生きる者」というのがほんとうの意味じゃないかなと思います。

だから「働かざる者食うべからず」は「生きざる者食うべからず」つまり、「死んでいる人は食べなくていいよね。」くらいの意味合いで、「生きているなら誰でもお腹空くんだから食べていいよ。」ってことだと思います。

生きていたらお腹が空くのは当たり前です。

それを、食べちゃダメなんて意地悪過ぎます。

 

社会の前提は恐い

こんな風に、社会の暗黙の前提ほど恐いことはありません。

つい自分いじめをしてしまう人は一度社会にある前提を疑ってみたらどうかなと思います。

結構信じなくてもいいことがたくさんあると思います。

そもそも、他の国に行くと超非常識なことが日本で常識になっているというようなわかりやすいものもたくさんあります。

それに、時代によっての暗黙の前提もたくさんあります。

昔は着物が当たり前だったのに今は洋服が当たり前。

昔は銀行なんてなかったから貯金なんてないのが当たり前だったのに、今は貯金してるのが当たり前。

だから、今の社会の暗黙の前提もそのうち変わるもの。

自分を苦しめてまで強く守らなくてはいけないものではありません。

【やりたいことが見つからない。】も【何かをすること】が前提です。

だけど、普通に生きていることが既に【何かしている】のでそれだけでいいんです。

無理にそれ以上何かをしなくてはいけないということはありません。

 

人はみんな能力者

【やりたいことが見つからない。だって自分には何の能力もないから。】そう思う人も前提のハードルが高すぎます。

【自分には何の能力もないから。】そう思うのは、比較しているのが同じく能力者だからじゃないでしょうか。

私たちには人の理解を超えた能力が最初から与えられていることを知っていますか?

例えば、目が見える、耳が聞こえる、声が出る、食事が出来る、椅子に座れる、人の顔を覚えていられる、識別できるなどなど挙げればきりがないくらいにたくさんの能力を具えています。

普通に生きていることは普通じゃないです。

 

選ぶのは自分

自分を貶めるのも、持ち上げるのも、それはその人の自由です。

でも、楽しそうにしている人を羨むくらいなら一度前提を見つめなおしてみませんか。

やることを変えなくても、前提を変えるだけで楽になれるなら、そういう人が増えたなら、私は嬉しく思います。