2019年 6月 の投稿一覧

体は一番身近な遊び道具。

最近もじもじ考という体の状態を意識にあげるワークショップを受けにいっているのですが、自分の体が何を感じているかを知るのは道具もいらないし、いつでもどこでも出来るし、とても簡単でとても面白い遊びだなと思いました。

もじもじ考の受けはじめは「こう感じるのが正解である」みたいなものがあるような前提で参加していた気がして、【よくわからない】と思っていたけれど、最近は自分が【どう感じるか】や【何も感じない】というのは誰にも判断しようがなくて、正解も不正解もなく、それそのままでいいんだって気づいたので俄然楽しくなってきました。

私はチェロの低い音が好きです。聞くと体の力が抜けてリラックス出来ます。

逆に歯磨きの音はあんまり好きではありません。肩から首、頭にかけてぞわっとする感じがします。

他には、自然の中に行くと肩の力が抜けて、思い切り息を吸いたくなるし、人がたくさんいるところに行くとみんなの気持ちを読もうとしてとっても疲れます。

こんな体全体の印象を意識にあげるのも面白いですが、もっと細かく細かく部分で観ていくことも出来ます。

例えば、足の裏は畳、フローリング、土、絨毯、立つものの違いで感覚が変わります。

こういうことをするとき、知識は全く関係ありません。

お金もかからなくて、簡単に出来ます。

体がどう感じているかを感じる遊び。

みなさんも是非やってみてください。

素直な自分が教えてくれること。

自分宛のラブレターを書くワークショップを開いたときのこと。

参加者さんの中に
「ありのままの自分でいいんだなと思えました。」とか
「今まで自分のことを後回しにしてたことに気づきました。」とか
深い気づきをシェアしてくれた方たちがいました。

とっても嬉しくて、よかったな。と思うと同時に、その方々が自分に素直になってラブレターを書いたからこそ得られた気づきだと心から感じました。

素直な自分が自分に教えてくれること、気づかせてくれることの力は最強です。

なぜなら、自分で気づいたことは即自分を変化させてくれるからです。

死ねば楽になれるんじゃないか。

苦しい状況に追い込まれたとき、誰もが考える【死ねば楽になれるんじゃないか】という思い。

今日はそんな方のお話を聞かせてもらっていたのですが、たぶん、死は楽になるための手段ではないと思います。

楽になるのにはその思考を変化させることが一番。

そのためにてっとり早いのが、体を動かすことです。

【死ねば楽になれるんじゃないか】と思ったら、全力で走ってみたり、階段を駆け上がったりしてみてください。

1分もしないうちに体は出来る限りの息を吸い込もうとし始めるし、心臓も全力で動き出します。

それがあなたの本心。

【生きよう】とする素直な力。

「どうして、こんなに魅力的な人がそんな思いを抱えなくちゃいけなくなったんだろう?」と思うことがよくあるけれど、考えて答えが出ない事を考えても変わらない。

私に出来る事は話を聞いて変化を促すこと。

今日もみなさんにとっていい一日でありますように。

持っているものをあげることで持っていることに気づく。

何で、みんな「もっと、もっと、欲しい」と思ってしまうのか。

「持ってない」って思ってしまうのか。

それは、持っているのに人にあげないからかもしれません。

人にあげないから、自分が持っていることに気づけない。

人にあげられるということは持っているということのしるしなのに。

それは、お金やものみたいな物理的に形があるものもそうですが、時間とか、思いやりとか、アイデアとか、目に見えないものも同じです。

ということに友人のブログを読んで気づきました。

聖書でも仏教の教えでも、お金持ちが「私はどうしたら天国に行けるでしょうか?」という問いには、「すべてを必要な人たちに分け与えて、わたしについてきなさい。」という答えが返ってきます。

ただ数行の文章ですが、考えてみると、お金持ちは自分の財産を処分する過程でどれほどのものを自分が持っていたかに改めて気づくことになるでしょう。

そして、それを人にあげたとき、今まで感じたことのない感情が湧くだろうと思います。

なぜ、お金もものも安全も持っている人たちが満たされていなくて、その日暮らしの人たちが満たされた笑顔をしているのか、やっとわかった気がしました。

ふと思ったこと。

キリスト教でいう神様が、”どんなことをしようと懺悔すれば全ての人を許してくれる”というのに納得がいっていなかったのですが、今日庭の剪定しながら、この世界は全て神様の蒔いた種なのだから神様が全てを許すというのも当たり前だなというところに至って、腑に落ちました。

ほんとうのところはわからないですが。

あと、自然が豊かなところに行った時【自然は誰が来ても受け入れてくれるから優しい】と思ったけれど、地震や豪雨、津波や台風、自然災害の時は誰彼構わず猛威を振るう恐いものでもあって、それはつまり、【特別な人やものなんてない】ということだなと感じました。

物語に出てくるような選ばれし人は虚構で、ほんとうは特別な人なんていなくて、人とは違った能力を持っていたとしても、役割にしかすぎない。

庭の木に鳥が巣を作っていて、卵が2個ありました。

今年はめだかも4匹かえったし、私の部屋では蜘蛛が孵化してたし、誕生フィーバー。

そんな生まれたての生きものをみているとなぜかほっこりするから不思議です。