2019年 3月 の投稿一覧

めぐまれて私がいるんだなということ。

はしとらば~ あまつちかみの おんめぐ~み ちちや~ははの~おんをあじわえ~
(箸取らば 雨土神の御恵み 父や母の恩を味わえ)

ふと思い出したので書いてみました。
私の曾祖母が食事の時、口にしていた言葉です。

【恵み】
めぐむこと。また、そのもの。ほどこし。
【恩】
人から受けたありがたい情け・めぐみ。

ほとんど同じ意味ですが”人”から受けると”恩”になるようです。

神様、仏様、父に母に、ありがとうございます。

名探偵は名コーチ。

メンタルケアやコーチングの資質は名探偵の資質にも繋がることに気づきました。

観察力。
相手を安心させる雰囲気。
答えを引き出す質問スキル。
推理力。
共感力。
客観力。
忍耐力。

そして、偏見や思い込みがあると真実が見えなくなる。という点でも共通しています。

ぴかーんと閃いたこの事実をコーチングの先生に伝えてみたら、「その通り!」という返答でした。

名探偵コナンも、おしりたんていも、相棒の右京さんも、刑事コロンボもみんなコーチングのスキルをつかって事件を解決してるんだよ。ということです。

面白い!!

老若男女問わずみんなが名探偵のファンなのは、人間の複雑な部分をひも解いてすっきりさせてくれるからかもしれないですね。

行為と存在を別々に考えると嫌な人がいなくなる。

みなさんは嫌いな人いますか?

私は嫌いな人いましたけど、自分がクリアになるにつれていなくなってきました。

なぜかというと、行為と存在を分けて考えられるようになったから。

嫌だなと思う人がいたとしても、何が嫌なんだろう?と客観的に眺められるようになりました。

そもそも、人の存在というのは、誰にも否定することは出来ないから、どんなに嫌な人でも「消えてしまえばいい」なんて思うのは自分がニュートラルに人を見られていない証拠かなと思います。

それに、全く自分に関係のない通りすがりの人を見て、存在が嫌だと思う人がいないように、そもそもの存在だけで嫌だと思う人はなかなかいないものです。

じゃあ何で私たちが誰かを嫌いになるかというと、それは人の行為がそうさせるんじゃないかと思います。

例えば、遊んでいて、○○くんがおもちゃを貸してくれなかった。

だから、○○くん嫌い!って。

大人でも、あの人は時間を守らないから嫌い。

あの人は嫌な事ばっかり言ってくるから嫌い。

という感じで、存在が嫌いというより、行為が嫌だから嫌いになるんじゃないでしょうか。

思い返してみてください。

今嫌いな人、初対面の時、すぐに嫌だと思いましたか?

初対面から直感的に嫌だなと思ったんだったら、気が合わない人かもしれません。

だけど、大抵の場合は一緒に過ごすうちに段々好きになったり、嫌いになったりするものではないでしょうか。

そして、一回嫌だと思ったら存在自体も嫌になってくる。

でも、嫌な人でも、優しい時があったり、自分と同じ趣味を持ってたり、おっ!と思う事ありますよね。

これも当たり前の事で、人は色んな面を持っているから、そういう事も出てくる。

そんな時、存在自体まで嫌になっていると、いい所も受け入れられなくなってしまいます。

それはもったいない。と私は思います。

だから、存在と行為を切り離すようにしました。

居てくれてOK。存在は認める。

だけど、嫌なことをしてくる時は嫌。

そうじゃない時は素直に受け入れる。

存在と行為は別のもの。

違う見方でいうと、【その人が何でそんなことをするんだろう。】と考えてみるのも面白いかもしれません。

赤ちゃんの頃はまっさらだった人が、どんな経験をして今のこの人になったんだろう。って。

そしたら、その人に興味が出てくるかもしれません。

そして、自分についても何で今の自分になったか、ちょっと見えてくるかもしれません。

お彼岸は繋がりを感じる日。

今日はお彼岸の中日。

朝から母がおはぎを作って仏壇にお供えしていました。

ついでに、30個くらい作っていて、これから、いつも野菜をいただくご近所さんや、親戚に配りに行くそうです。

こういうことは、昔はどこのお家でもやっていたことだと思いますが、みんな仕事で忙しくなるにつれ、煩わしさの方が大きくなって、今では年配の方たちの間で残っている田舎ならではの習慣になりつつあるような気がします。

ご近所さんや親戚とのお付き合い、うちは田舎の本家なのでそれが多くて、昔から色んな人の出入りがありました。

今日も、叔父さんが仏様を拝みに来たついでにおはぎを食べて帰りましたし、お客さんが来たときはお茶とお菓子を出して、お話してっていうのが当たり前の光景だったように思います。

だから、私も人とお話するのが好きですし、色々な世代の方と無理なくお話出来るのかもしれません。

でも、今でこそ、それほど頻繁に来客があるわけではないので、楽しめますが、昔は大変だったみたいです。

母は家でゆっくり休む事なんて出来なかったと言っていました。

いつお客さんが来るかわからないので、だらだらした格好ではいられない。

大好きな編み物も、始めたと思ったらお客さんでお茶出しして、また戻って、落ち着いたと思ったらまた誰か来て、とそんな毎日だったと言っていました。

うちは私が小さい頃は曾祖母まで生きていましたし、祖父が家で仕事をしていたので、それもあってのことだと思います。

それに、昔は大人の間で色んなものが渦巻いていました。

そんな中で育った私は、人の態度や言葉、雰囲気で気持ちを察する修行をさせてもらったように思います。

そして、今、そろそろ40を迎えようという頃、昔の大人は年老いて、新しい子供たちがどんどんこの世界に生まれてきています。

この関りが嫌だったこともあるけれど、今では全部が私の財産。

こんなことを感じさせてくれるお彼岸。

みなさんはどんな風に過ごされているでしょうか。

自分への信頼とどこかに所属していたいという思い。

昨日、「精神対話士派遣業務の面接に落ちました。」と書きました。

私は精神対話士派遣業務に受かること前提でこの半年くらい動いてきたので、「さて、どうしようか。」と自分に向き合う事にしてみました。

「そもそも、何で精神対話士派遣業務がしたかったのか?」と自分に聞いてみたら、そこに自分への自信のなさを見つけました。

「自分の名前で仕事をしていくのが不安で、出来ればどこかに所属していたい。」そういう思いが感じられました。

もちろん、昨日書いた「講座で出会った精神対話士の方々が魅力的で一緒に活動出来たら嬉しいな~。と思っていた。」とか「精神対話士派遣業務に参加して対話の実践を増やしていけたらいいなと思っていた。」というのも本当の気持ちです。

でも、その奥にはもう一つ「自分に自信がない」という深い理由があったことに気づいたのです。

これは、見ないようにしようと思えば見ないように出来るものです。

ただ、放っておくといつまでもそのまま。

そして、勘がいい人は他人のそういう部分によく気づくので、悪気なく、そのことを指摘します。

すると、言われた方は自分で見ないようにしていたことなので、怒りが出て来たり、反抗心が出て来たり、羞恥心が出て来たり、心を揺さぶられます。

そして、感情に任せてさらにそこに蓋をしてしまうか、受け入れて自分を見つめなおすか、のどちらかの対応をすることになります。

私の場合、2019年に入ってから、自分への自信のなさを感じさせられる出来事が既に2回起きていたので、これで3回目でした。

でも、もう終わりかなと思います。

自信のなさは私に人に頼る事を教えてくれました。

今持っているものがたくさんある事も教えてくれました。

自信がないならまだまだ学べばいいという事も教えてくれたし、助けてくれる人もたくさんいる事も教えてくれました。

だから私は今持っているもので出来る事をやればいい。

まだまだ学べばいい。

困ったら人に助けてもらったら大丈夫。

みなさんも、チャンスがあれば自分に聞いてみてください。

「何で○○したいんだっけ?」

そうしたら、自分が気づかないようにしていた意外な答えが返ってくるかもしれません。

もしかしたら、気づくのが嫌な事かもしれないけど、苦しいと感じてしまうことかもしれないけど、一人で出来る事だから、頑張って
素直に受け入れてみてください。

そしたら、新しい気づきと新たな道が待っていると思います。

計画通りに行かないことは起こるもの。


精神対話士派遣業務の面接に落ちました。

2018年の9月からこの一般財団法人メンタルケア協会の講座に通っていたのですが、その最終試験のようなものに落ちたと思って貰えばいいと思います。

協会が求める精神対話士像に私が合わなかった。ということだと思います。

残念です。

なぜなら、講座で出会った精神対話士の方々が魅力的で一緒に活動出来たら嬉しいな~。と思っていたからです。

そして、精神対話士派遣業務に参加して対話の実践を増やしていけたらいいなと思っていたから。

でも、協会の方も残念ながら・・・ということなので、残念ですが、想像していた直近の未来を変更しようと思います。

こういう時、私が思い出すのはグアテマラでの色々な出来事。

前職でグアテマラで作った商品を日本に輸入して販売するという仕事をしていたのですが、とにかく、色々なトラブルが起こりました。

商品の材料が倉庫ごと燃えたり、発送したはずの荷物が予定通り届かなかったり、働いていた人が突然病気になったり、停電でミシンが使えなかったり、送金システムが使えなくなったり、届いた商品が不良品ばかりだったり。

その度に、日本では販売の計画があるわけなので、どうしたらいいかと出来ることを探してなんとかするというのをやっていました。

だから、私には計画通りにいかないということがそれほど珍しくありません。

今回も、これを機会に、本当に私がやりたい事をもう一度自分に問うて、新しい道を探したいと思います。

そういえば、私が青年海外協力隊に参加したのも、大学を卒業して就職出来なかったからでした。

だけど、今はそれでよかったと心から思えます。

後になってみないとわからないことの方が多いものだし、これまで通り毎日を過ごしていこうと思います。

と、考えたら、今、受験が終わって結果待ちの学生さんも多い時期。

どきどきの毎日を送っているかもしれませんが、受かっても落ちても大丈夫。

道は続いています。

そこでひねくれたり、人を責めたり、落ち込んだりしてもいいけれど、結局は自分の人生。

後悔のないように、思っていた未来を、また別の素敵な未来に書き換えて、進んでいって欲しいなと思いました。

最終的に、人生は楽しんだ方がお得だし、うまくいく。

うまくいくっていうのは振り返った時に後悔がないということ。

落ちるというのも行動した結果だから、また行動すれば別の結果が得られるわけで。

真剣に生きていればおのずと、いい人生が出来てくると思っています。

一生懸命生きていると何にでも感動出来る。

あまりに平和な毎日が続くと、人は一生懸命生きられないのかもしれない。と思うことがありました。

それは、日経新聞の写真記者が見た「3.11」思い新たにというページを読んでいた時のこと。

津波警報に逃げ遅れそうになった家族を写真記者が助けた時、お母さんの口から「私、一生懸命生きますから。」という言葉が出てきた。と綴られていました。

私は、思わず、泣きそうになってしまいました。

そんな言葉が出るということは、お母さんは毎日を一生懸命生きられていなかった。

その後悔の塊のような心が私には伝わってきたからです。

私たちは、平和な世界がいいと思うけれど、病気のない世界になればいいと思うけれど、災害のない世界になればいいと思うけれど、それがなくなったら生きるということに真剣に向かい合う機会がなくなってしまうのかもしれません。

何か嫌なことがあったら他人のせいにしたり、自分の都合で自然を壊したり、体は嫌がっているのに働き過ぎたり。

今でさえそうなのだから、今のままの私たちが理想の世界を手に入れたとしても、自分たちで争いを起こして消滅してしまうというのが自然の流れなのかもしれません。

私の友だちに、何にでも一生懸命で何にでも感動している、さかいみるさんという人がいます。

みるさんは、可愛いもの、綺麗なものが大好きだけど、お洋服を買う事やアクセサリーを買う事が好きなわけではありません。

毎日、お茶を入れること一つ、息をすること一つに感動して、お散歩しては自然や動物に感動して、そういう既にあるもの、ただのものに美しさを見出しては、心を感動でいっぱいにしています。

みるさんとは先日お知らせしたように2019年3月31日(日)に福岡県宗像市でワークショップを一緒に開催します。

『自分あてにラブレターを書く』というワークショップなのですが、これもみるさんのアイデアで、自分でやって凄く楽しかったからみんなでやろう♡ってことで開催が決まりました。

みるさんはお家を訪ねると、いつも美味しいお茶とお菓子を用意して待ってくれています。

そして一緒に「凄いよね~。」「かわいいよね~。」「楽しいよね~。」「素敵だよね~。」って毎日の事を話します。

みるさんはあんまり外に出るのが好きじゃないから、本当にほとんどが毎日の事です。

でも、そこに毎日感動を見つけます。

きっと私たちがみるさんのようになったら、平和で病気がなくて災害もない世界になるんじゃないかなって思うくらいです。

とっても稀な人だと思うので、みなさん想像が出来ないかもしれません。

なので、よかったらみるさんのブログを読んでみてください。

みるさんは画家で絵本作家なのですが、その絵にもみるさんの心があらわれています。

私がここでいう「一生懸命に生きる」というのはただがむしゃらに動き回る、忙しくしているということではありません。

一生懸命というのは思考をあっちこっちに飛ばさないで、ひたすら今を生きているということです。

毎日の事にちょっと気づけるようになったら、ちょっと感動出来るようになったら、その時が今を生きている時なのかもしれません。

3月31日(日)とっても楽しい一日になると思うので、是非ワークショップ参加されてみてくださいね。

詳細はこちらをご覧ください。