前回書いた意志の力を感じていると【これが”いのち”なんだ】という気持ちがします。
【これがあるから体は動くし、思考も生まれる。死ぬときはこの”いのち”が体をぬけるだけなんだ】と。
思考は”いのち”がないと生まれません。
「生きている意味がない」とか
「生きている価値がない」とか
”いのち”が体をうごうごしているから生きている という単純でありがたい事実から外れています。
”いのち”があってこそ生まれる思考が”いのち”を攻撃するのは、
宿主の中でしか生きていけないのに、宿主を攻撃するウィルスのようなものです。
本来ならウィルスも私たちと共存する存在だったのに、今流行りのコロナウィルスは思考のように【私こそが最強だ】と勘違いしてしまったのかもしれません。